これは平成20年8月に税務の専門紙(NP通信)に寄稿したものである。「相続の何たるか」を考える上で参考になるのではないかと思って、この欄に掲載する。なおここで批判している「遺産取得課税方式」は、「長子相続を守るべき」とする農業団体等の反対により、決定直前にどんでん返し的に導入が見送られている。
はじめに
新たな事業承継税制の創設に併せて、相続税の課税方式を、現行のいわゆる法定相続分併用方式(以下「併用方式」という)から遺産取得課税方式への改訂が検討されている。
しかし遺産取得課税方式への変更には、何ら議論されていないままに放置されている極めて重大な問題がある。そこで相続税業務の第一線にいる者の立場から、これらの問題に鋭く切り込んでいきたい。
1.課税方式変更の必要性
遺産取得課税方式は、遺産分割により各相続人が取得した遺産の多寡に応じて、それぞれに累進税率を適用して税額を算出する。この方式は戦後の一時期採用されていたが、これでは遺産分割のやり方しだいで税額が大きく増減してしまう。また累進税率を逃れために、均等に近い分割に仮装されやすいという問題もあった。
そこで昭和33年から現行の「併用方式」に変更した。これは法定相続分で遺産分割がなされたと仮定して税額を算出し、この税額を実際に分割した財産の割合で負担するというもの。これならどんな遺産分割を行っても、全体の税額は変わらないで済むわけである。
さて新たな事業承継税制は、農地相続における納税猶予制度に準じた税の軽減策である。したがって、事業承継者がこの制度を利用すると、承継者以外の相続人の税負担も減少する。逆に承継者がこの制度から離脱すると、他の者もその軽減税額の納付を要することとなる。
このように、ある者の行為により他の相続人の税負担が一蓮托生的に増減するのは不合理であるという考え方がなされた。そこで遺産取得課税方式に変更すれば、「一蓮托生」から解放される。こうして課税方式の変更への大きな流れが形成されていった。
なお遺産取得税方式への変更は、課税の水平的公平が図られる等のいくつかのメリットがあるとされている。しかしその一方で、新方式への転換には後述するような点以外にも、遺産の未分割の場合の対応を含め少なからぬ問題を抱えている。
2.現実無視の課税方式の変更
民法は均分相続を定めている。しかし実際にはそれぞれの事情により、いろいろな遺産分割が行われている。たとえば、親の面倒をみた者が自宅を含め多くを相続する、相続人固有の事情(裕福な者、障害者、既に多額な援助を受けた者、事業資金等に苦しむ者)を考慮した分割にする、等である。とりわけ地主層では、その大半を跡継ぎが取得するという長子相続的な分割が今日でもかなり行われている。
例えば、10億円の遺産を跡継ぎである長男が9億円、嫁に行った妹が1億円相続したとしよう。この分割は一見不平等にみえるが実質的にはそうではない。
おそらく長男の相続した財産は、広い自宅と多くの貸家や貸地といったほぼ換金不可能な資産で構成されていよう。そして各方面とのつきあいを含め、本家としての体面の維持を要する。その上で巨額に課された相続税をひねり出さなければならない。また将来の相続対策も忘れるわけにはいかない。
その一方妹は、金融資産の形で1億円(相続税を払っても優に5,000万円以上)を手に入れる。この資金は煮て食おうが焼いて食おうが自由な上に、実家の親の面倒をみる必要もない。したがって筆者はむしろ妹の立場の方が有利であると考える。
ところが新方式は、9億円もの巨額な遺産を相続したとして、長男により一層多くの税額を課す一方、妹の税負担を軽くするというもの。これでは長男は納税に窮してしまう(物納も先年の改正により極めて困難となっている)。
一体この制度のどこに「課税の公平」があるというのか。その言い分は、相続財産のすべてが預貯金で構成されさらに相続に伴う諸般の義務を無視するという、実態を無視した場合のみに成立する理屈に過ぎない。
配分割合はどうあれ円満に分割協議が成立すれば、その分割こそがすべての事情を考慮した上での真の公平・平等となる。であればそれらの遺産に同一の税率を乗じる「併用方式」が「公平」の面でも優れている。現行の「併用方式」はよくできた制度なのであり、何ら変更する必要はないのである。
しかしそうであれば、税負担に苦しむ先の長男は、分割割合を少ししでも均等に近づける体裁での申告を考える。その方が税額がかなり減少するからである。これは相続財産をごまかしたわけではない。自由とされている遺産分割の割合を、実際と少し変えたに過ぎない。
しかしむろんこれは遺産分割の仮装であり、明白な脱税行為である。ただし長男の気持ちも分からなくはない。つまりこの制度は仮装分割を誘引してしまうのである。
これを例えていえば、やっと禁酒を決心した人の目の前に酒を置いたまま一人っきりにするようなものかもしれない。この場合には少なからぬ人が酒を飲んでしまうであろう。確かに誘惑に負けた人が悪いのは事実である。しかしそれ以前に、そうした行為を誘発するようなしくみを作る方が問題なのではあるまいか。
3.遺産取得課税方式への批判
この遺産取得課税方式の変更は、メリットがほとんどない上にあまりに弊害が多い。その最大の欠点はズバリ、新方式が遺産分割の割合の均等化を誘導・強要することにある。
繰り返すが、遺産分割で何より大切なのは相続人の円満であり、これを達成するために均等割合と異なるさまざまな遺産分割が行われている。
ところが新方式では、均等(に近い)分割をすれば税額負担を低くするという。つまり国が「遺産は均等に分割せよ」と言っているに等しい。これは税の大原則である「税の中立」に明白に違背する。このような税制は許されるものではない。
実は円満な遺産分割とはいえ、かなり微妙な中に成立しているケースも多い。誰しも遺産は少しでも多く欲しいのだ。しかし跡を継ぐ人や親の面倒を看る人等の苦労を周りが理解するからこそ、何とか妥当な分割が成立している。
しかし新方式より、不均等な分割は余分な税負担を招く。となれば「皆のために、なるべく均等に」という財産欲しさの声が一気に高まろう。これではあるべき遺産分割に大きな支障が生じる。
話を大きくする。結局のところこの新方式は均分的な相続をかなり強力に推し進めていくことになる。その結果、数十年間という長い間には長子相続的なものが廃れていく。つまり大地主層が没落し、それらの資産を分割相続した小振りの資産家が増えていくわけだ。
となれば、大地主の本家にふさわしい大型建築のニーズは激減する。広い庭の植木を入念に手入れする必要もかなり減るだろう。つまりこれらを担ってきた建築関係や植木等の腕利き職人が大きく減ることを意味する。さらに地域の祭礼その他の行事を支えてきた地元の名士もいなくなる。こうして、我が国特有の技術や伝統・文化が廃れていくのである。
また資産家の減少は高級住宅地の崩壊を招く。こうした土地は相続人により分割され換金されていくからである(郊外の地主の広い自宅敷地も同様)。こうした動きは、バブル崩壊により顕在化した土地の供給過多に拍車をかけ、一層の地価下落を招来する。
ところで、これらの措置は事業承継促進のためのものという。しかし地主層の所有する一連の資産も、いわば地主業継続のために分割されては困る資産となっている。そして上記のとおり地主層の存続は、多くの面で地域社会に貢献している。
こうした中にあって、地主業の承継に甚大な負担をかけさせることにより、特定の事業承継の円滑を計るという。これは致命的な矛盾というより他ない。
4.本音の話
ここで本音の話をしよう。実は新方式への移行は新たな事業承継税制にとって必須の要件ではない。税額控除を少し工夫すれば、事業承継者の税の軽減は他の相続人に無関係にできるからである。
ではこれは何のために行われるのか。むろんそれは相続税の増税の手段に過ぎない。この制度改正の過程で、財務省はあちこちに増税装置を仕掛けている。その上で「これは増税のための改正ではない。新たな事業承継税制を導入した結果として増収になったに過ぎない」と言いたいのだ。こうした増税策は、税務当局の得意技なのである。
しかし客観情勢をみれば、普通に増税を訴えれば十分に世の理解を得られるのではあるまいか。平成6年の大減税以降は全国的に地価は大きく下落している。相続税収も納税者の割合も大きく減少しているのだ。
まして今日、アパート暮らしの人も相応の消費税を負担している。その中にあって、1億円もの資産の相続が無税というのは通るまい。したがって平成6年の減税措置を元に戻すことを中心とする増税を堂々と訴えればよいのである。
相続税は過去の数十年間で、武蔵野の緑をほとんど壊滅させた。未だに残るわずかな個人所有の雑木林等を目にするにつけ、「地主に相続が発生すれば、納税資金のためにこの緑も開発されてしまうのか」と寂しい思いをする。相続税の遺産取得課税方式の採用により、新たな荒廃を発生させてはならないのである。