この7月6日に、死亡保険金の年金受取分への所得税課税に関して、「これは二重課税に当たり違法」とする最高裁判決がありました。「相続財産には所得税を課さない」とする所得税法(9条)の規定に違背するというものです。この判旨は誠にもっともといえましょう。
とはいえ私はこうした事案に縁がなかったせいもあって、この点の問題意識を有していませんでした(勉強不足)。しかし考えれば考えるほど、これは多岐にわたる問題を含んでいます。
その第一は、国税当局の許されざる恣意的取扱いという側面です(この点は、珍しく日経新聞が7日の社説がこき下ろしています)。
所得税法の規定により、一時金として受け取る保険金には所得税を課しません。しかし「これを年金形式で受け取る場合には課税対象にする」という取扱いは、あまりにも無理があります。
しかし当局は次の意味不明ともいうべき数十年前の通達により、この無理を納税者に強要してきました。「保険金とは保険請求権を意味し、年金形式の場合は年金受給権がこれに当たる。毎年受け取る保険金は受給権そのものではなく、年ごとに受給権から発生する別種の債権(枝分権)であるから、保険金には当たらない」。
しかしこれは屁理屈の極み。お話になりません。
実は後述するように、「年金受取の場合は所得税を課税すべき」という発想はよく分かります。考えようによってはそうすべきなのかもしれません。しかしそれには税法を改正した上で行わなければなりません。
国税当局はこれが面倒なのでしょう。そこで当局の一存で何とでもなる「通達」で、「課税すべし」を決めたのです。そこには「国会が定めた税法と抵触しようがしまいが、実際の課税をどうするかはわれわれ役人が決める」という、役人特有の強烈な思い上がりがみてとれます。むろんそのような行為や発想は許されるものではありません。
第二の問題は、実際にはそうした国税当局の違法な行為・発想が、長年にわたり許されてきているという点です。それは法律よりも通達が優先されるという、今日の「通達行政」ぶりに表れています。
むろんこうした状況は国税当局だけはありません。ある意味当然ながら、他の中央省庁も全く同じです。「法治国家」という用語がむなしく響くのです。
その原因の大なる部分は裁判所にあるように思います。こうした違法を訴えても、裁判所がそのほとんどすべて国側を勝たしてしまうからです。そこには理論も社会正義もありません。要するに裁判所は「行政側を守るための機関」というべき存在です。これにより各行政機関は、後顧の憂いなく違法行政をも推進していくわけです。
となれば国民の側(とりわけ税理士といった専門職業家)は、「国に逆らってもどうにもならない」として、あきらめの境地に陥ります。こうした行政に従うしかないわけです。
こうした中、長崎県の一主婦が税理士の力を借りて、この裁判を起こしました。幸い一審では勝訴したのですが、組織の論理に忠実に従ってきた人で構成されているであろう高裁では負けてしまいます。そして今までであれば、最高裁も当然に国を勝たせるはずでした。理屈など何とでもつくのです。
しかし驚くべきことに最高裁は今回、納税者側を勝たせました。これはすばらしいことです。と同時に、裁判を勝ち抜いた二人に敬意を表しておきます。
実は近年、こうしたあるべき判決が少しずつ増えてきているように思われます。きっかけは、こうしたどうにもならない司法(とりわけ刑事司法は破綻状況)の制度改正の動きだったでしょう。
そしてその最大の成果というべきものが、前年にスタートした裁判員制度です。もっとも今回のような行政訴訟は、裁判員裁判の対象ではありません。しかしその存在そのものは、行政訴訟の風向きにかなりの影響を与えているように思います。
さて既に話がかなり長くなっています。そこで第三の問題については次に回したいと思います。とはいえわたしが書きたかったのはこの第三の点です。したがって以下にその要旨を簡単に述べておくこととします。
・今回のような死亡保険金の年金受取への所得税課税は、実質的に二重課税に当たるケースは極めて稀である。
・理由は、年金受取とした死亡保険金に対して相続税を払っている人は極めて少ないからである。
・したがって、遺族として受け取る年金保険に所得税が課されなくなる一方、本人が保険料を払って自身が受け取る個人年金に所得税が課されるのは、不公平というより他ない。
・ただし稀といえ、現行制度では両税の納付を余儀なくされる人もいる。こうした二重課税は許されるものではないため、新たに両税の調整のための規定を工夫すべきである。