はじめに
現在、鳩山首相の巨額政治資金問題が世を騒がせています。考えてみれば、これはいろいろの側面を有しています。少なくとも①税務の観点、②社会通念の観点、③政治的観点3つには区分されましょう。
そこで当ブログで、この問題を整理して考えることとしました。
とはいえ実は①に関しては、既に「税務の観点」として別途記載済みとなっています。そして本欄の「社会的観点から」とする②、③は、①の続きという形になっています。したがってこれをお読みいただくに際しては、平行して(または最初に)「税務の観点」をご覧いただきたくお願いいたします。
(1)社会通念の観点
最初に明らかにすべきは、この社会通念の観点です。そしてその結論は「何の問題もない」となります。
まず今日において、国会議員さらにはそれ以上のレベルの政治活動を行うには、かなり大きな政治活動資金が必要とされているようです。それもあって、近年は多額な政党交付金(原資は税金)が支給されるようになりました。
それでもまだまだ不足しているようです。したがって多くの政治家は、政治資金の不足分を、財界・労組等の団体や特定の企業、資金集めのパーティーその他実にさまざまな手法により集めています。
とはいえ極めて限られた純粋の個人献金を除き、いわゆるゼネコン汚職等にみられるように、これらは大なり小なり不明朗な性格を有しているといわざるをえません。
こうした倫理面から呈せられた疑問に対しては、政治家は常に「政治資金規正法に則り適正に処理している」と弁明します。しかし法律的な体裁はさておき、ほとんどの政治献金は、(財界や労組からのものを含め)利益誘導を狙ってのものであることは歴然たる事実です。
ところが鳩山首相の巨額資金は母親が提供したものです。つまりこうした不明朗なものとは全く無縁の、鳩山家のいわばきれいなお金です。政治資金に関して鳩山家が自腹を切っているということは、ほめられこそすれ批判される筋合いはないと考えます。
かなり前には、「井戸塀」議員という人種がいたそうです。自己資金を投入して政治活動を行った結果、私財を失い、井戸と塀しか残らなくなってしまった人をいいます。つまり清廉潔白であったことを尊敬した表現といっていいでしょう(お人好し、というニュアンスも含まれているかもしれませんが...)。しかし万事に世知辛い今日、そんな人はとんとお目にかからなくなっています。
ところで鳩山兄弟をみると、井戸塀議員を連想することができます。ただし鳩山家は大資産家ですから、「井戸と塀しか残らない」といった心配は全くありません。しかし世論やマスコミには、その点に関してやっかみのようなものがあるように思えてなりません(確かに、鳩山兄弟には「お金持ちのお坊ちゃん」然としたところがあるのも事実ですが)。
いずれにしても、事の本質を見誤ってはならないように思うしだいです。
(2)政治的観点
この点は専門家でもありませんから、税務にからむ点を中心に簡単に記すこととします。
最初に、鳩山兄弟の「贈与税の脱税問題」についてみておきます。それには「贈与税は相続税の補完税」贈与税の本質をもう一度確認しておく必要があります。
かなり昔に、「死んで多額な財産を遺すと、ドッと課税」という相続税が創設されました。となれば資産家は、「それなら、生きているうちに子供に財産を渡してしまえばいいではないか」と考えます。
しかしそれではせっかくの新税が骨抜きにされてしまいます。そこで、贈与税をほぼ同時に定め、贈与を行うと目の玉の飛び出るような税率で課税することとしました。これにより多額な贈与を実質的に禁止し、相続税の税収を確保しようとしたわけです。
そもそも常識的に考えて、親が子供に財産を贈与することは何の問題もないはずです(確かに、「贈与を受けることができる子と受けられない子との間に不公平が生じる」という理屈はあるかもしれませんが...)。つまり相続税を免れるための贈与でなければ、贈与自体が悪いものとはいえないように思います。
この観点から鳩山兄弟のケースを考えます。すると今までの流れをみる限り、母親も鳩山兄弟にも、「相続税を免れよう」といった発想はほとんどなかったのではないかと思われます。
仮にそうだとすると、贈与税の申告がなされていなかったこと等を称して、「(倫理的に)許されざる脱税」といった表現は当たらないように思います。
事実、母親が所有する財産の多くはブリジストンの株式であろうと思われます。であれば、相続税額がいくら多額になろうと、これを換金すればすぐ払うことができます。
実は相続税の負担がつらいのは、大半の相続財産が、自宅や貸家の敷地さらには自社株といった換金が困難なもので構成されている場合です。要するに納税資金を容易に調達できるかどうかがポイントなのです。その点に何の問題もない鳩山家にあっては、おそらく相続税のことはあまり深く考えていなかったように思われるわけです。
結局のところ、先の「井戸塀」的な政治資金の拠出の状況や、相続・贈与税への鷹揚な対応ぶり等からみて、鳩山家には、「悪質」という表現は当たらないように思います。この「巨額政治資金問題」を考える際には、このような問題の本質を見誤ってはならないように思うしだいです。
とはいえ以上は、あくまで鳩山家が一般の大資産家、さらには政治家であったとしても陣笠議員程度であった場合の話です。したがって、兄が現首相で弟も前総務大臣といった超大物である以上は、状況は自ずと変わってくるように思います。
一体、鳩山家(さらには由起夫・邦夫の各事務所)の金銭感覚やコンプライアンス(法令遵守)はどうなっていたのでしょうか。仮にそれらは秘書任せになっていたとしても、そんなお粗末な秘書を任命し、またそれに頼り切っていたご本人の不明ぶりは、論外といわざるをえません。
さらには税務に関しては顧問税理士がいたのでしょうが、その人は不思議極まる資金の動きに相続・贈与問題にからめた疑問が湧かなかったのでしょうか。いや税理士にも得手・不得手があります。であれば責められるべきは、そうした方面に強い税務の専門家に依頼しなかった本人(または秘書)の責任になりましょう。
結局これは、こうした立場の人に必須というべき、バランス感覚(もっといえば人間的な実力)の問題です。ペーパー試験的な偏差値の優劣が、いかに当てにならないかの証拠ともいえそうです。
結局、鳩山兄弟はいよいよ単なる「世間知らずで人のいいお金持ちのお坊ちゃん」ということになります。となれば我々国民としては、危機管理ひとつを考えただけでも、そんな人に国を任せたくありません。
しかし、「お人好しの八方美人の対応が現実の壁にぶち当たり、混乱を招いている」というべき今日の鳩山氏の首相ぶりは、まさしく「世間知らずのお坊ちゃん」そのものといえましょう。
ついでにいえば、(悪い人ではないのでしょうが)総務大臣だった弟の勘違いぶりも相当のものであったと思っています。
二人にかなりの悪口を言ってしまいました。今度はもっと恐ろしい別の観点からこの問題をみてみます。
そもそもこの問題は、検察が追及していた鳩山首相の政治資金収支報告書の虚偽記載問題から派生したものです。つまり本人や母親から拠出されていた資金を、故人を含む他人からの寄付金とであったとする記載がなされており、この点を虚偽と追及されているわけです。
たしかに形式的・法的には明らかに「虚偽の記載」といえるでしょう。しかし実体的には「井戸塀」的拠出です。政治資金にかんして本来批判されるべきは、露骨な利益誘導がからんだ資金提供であるはずです。したがって検察が「虚偽記載」と声高に叫んでいましたが、世論はある程度冷静にみていたように思われます。
そこでこうした追及に力不足を感じていたであろう検察が、あまりに脇の甘かった鳩山家の税務問題に着目したように思います。「鳩山家が税をごまかしていた」という話であれば、(庶民のやっかみ感情を含め)世論は大きく検察の応援に回るはずだからです。
ところで前回も指摘しましたが、税に関する不正は「申告漏れ」と「脱税」の二つに大別できましょう。前者は単なる税務のミスという感覚である一方、後者は犯罪といったニュアンスです。
そして具体的は、仮装・隠蔽行為等が行われていたことを前提とする重加算税が課されるかどうかが、両者の判断の分かれ目となりましょう。
ただし近年の税務当局は、仮装・隠蔽といった悪質な行為を伴っていないものに関しても、重加算税を課そうとする傾向が顕著となっています。したがって、この点にも留意する必要があるかもしれません。
さて問題は、鳩山首相にこの重加算税が課されるかどうかです。これが課されることにより、「鳩山首相は脱税をした犯罪者」であるなどというレッテルが貼られようものなら大変なことになります。首相の座を失うことはもちろん、下手をすると政治生命にすら影響を及ぼしかねないでしょう。
しかし繰り返しますが、報道でみる限り鳩山兄弟には重加算税が課される要素はありません。ところが検察や課税当局は、場合によっては政策的な恣意的課税を行う可能性がゼロでないのも事実です。結局この問題は、検察対鳩山政権の力関係で決まってくるように思います。
考えてみれば、西松建設からのダミー献金問題で検察は、当時の党首の座にあった現小沢民主党幹事長を退陣に追い込んでいます。それに対して小沢氏の側は検察を鋭く批判しています。いまや政権与党の大実力者となった小沢幹事長の前で、検察は戦々恐々としているのではないかとも考えられます。
そうした状況下での、検察による鳩山首相に対する偽装献金問題の追及です。のみならず、税務問題でのさらなる検察の追い討ちです。そして税務問題であれば、「重加算税」という超重量級の武器使用の可能性すら出てくるわけです。
ただし客観的にみれば、重加算税はかなりの無理筋であり、下手にこれをやると検察が返り血を浴びるというリスクがあります。しかしマスコミが庶民のやっかみ感情にうまく訴えることができれば、成功の可能性がないわけではありません。
現に読売新聞は、12月5日の社説で、この問題に関して、金丸信元自民党副総裁のケースを引用するというとんでもない主張を展開しています。すなわち、鳩山首相の政治資金が不明朗さに関して、元副総裁が5億円の違法献金を受け、これを不明朗な処理をしたところ、国民の猛反発を受けたことを忘れてはならないというのです。
しかしいかに読売新聞が民主党政権に批判的であるとしても、自腹を切るという井戸塀的資金提供と、その対局ある、利益誘導を全面に打ち出した上での威圧的に強要された政治献金とを混同するなどは、許されるものではありません。
何だか話がやたら長くなってしまいました。どうも専門外のことを無責任に書き過ぎたように思います。
いずれにしてもここで申し上げたかったことは、「形式的な違法性に目を奪われることなく、事の本質をしっかり見るべき」という点です。さらには「人のいいばかりでは、一国を率いるのは難しいのではないか」というのも、この場での感想のひとつです。
今後の推移を注意深く見守っていきたいと思います。