仙台地裁が、自動車教習所に19億円余の損害賠償を命じたよ。東日本大震災で津波犠牲になった26人の遺族が起こしていた裁判。「教習所が津波を予見し、教習生らを安全に送迎する安全配慮義務に違反した」が判決理由だって。
法律的な理屈ではそうなるんだろう。確かに教習所にも判断の誤りがあったんだろうね。やりようによっては助かった可能性もあったんだろうし。
でもそれは結果論じゃないのかい。教習所が安全面で意図的に手を抜いたり悪質な判断ミスをしたわけじゃないんだろうから。この事件の本質は、たまたま未曾有の津波が来ちゃったことにあるんだよ。
判決は「消防車が避難を呼びかけていたのだから津波襲来を具体的に予期し得たはず」なんて言ってる。
でも避難の呼びかけがあっても、「まあ大丈夫だろう」と考える人の方がずっと多いよね。だから教習所の人だけじゃなく、周辺の一般の人も多数犠牲になってるわけだよ。
でも結果論とはいえ、判断ミスが犠牲者を生んだのは事実だよ。だから教習所に全く責任がないってわけにはいかないんだろう。だから責任者が心から遺族に判断ミスを詫びた上で、1人当たり百万円といった常識的な金額を包めばいいと思う。
問題は19億円という金額。これじゃあ完全に教習所は潰れちゃう。だけど大災害で、教習所という社会的な施設を破綻させていいのかい。大事な雇用の場も失われるんだよ。
19億円は1人当たり7,000万円にもなる。膨大な犠牲者がいる中、たまたま教習所にいた人の遺族だけが大金を手にできる、っていうのもおかしいというより他ないよね。
つまり、死亡原因の9割以上は自然災害によるもの。教習所の判断ミスは数%程度にすぎない。にもかかわらず、判決は判断ミスがすべての原因であるとして賠償額を決めてるんだ。これが非常識判決の元凶なんだよ。
毎度言うんだけど、一般の社会生活を知らないままのエリート意識の塊である裁判官は、そのほとんどが全くの常識知らず。法律の屁理屈を振り回すだけで、その解釈が社会常識に合致しているかどうかのチェックができない。この判決はその典型だね。
例えば産婦人科の医師。彼らが出産で少しミスをすれば、悲惨な結果になっちゃうこともある。で裁判になると、賠償金1億円なんて判決が平気で連発される。
これじゃあ産婦人科なんて怖くてやってられない。出産に困るまで産婦人科医を激減させた主因は、こうした非常識判決なんだよね。
また1年半前には、認知症の徘徊男性が線路で跳ねられ、JR東海の訴えで遺族に720万円の賠償命令が出てる。本欄で当時これを「法律屋の独善」と批判したんだけどね。
社会ではこの種のものに対しては「しかたない」っていうんだよ。(ごく一部のミス等はあったにせよ)これらは不運だったんだ。だから被害者は基本的にはあきらめるしかないんだよ。
確かに法律には、「故意・過失によって生じた損害には賠償責任がある」と定められている。だから賠償責任はゼロじゃないんだろう。でも問題はその賠償額。これを常識的な金額にしなくっちゃダメなんだよ。まあ1~2桁は下げるべきだよね。
こうした判決に際して、売らんかなのマスコミが「娘の成長が見られなくなった」といった遺族の悲しみを大きく載せる。
誠に不遜なこと書かしていただくけど、娘の成長が見られなくなったのは津波のせいだよ。この辛さを教習所への怒りに転嫁するのはおかしでしょう。この悲しみは、一般の被害者同様に「時に解決」させるしかないと思うんだよ。
ところで、教習所は遺族に状況を何度か説明した後に、「教習所の過失は法的には認められない」って封書を遺族に送ったんだってね。でもこんなのを見れば遺族は怒り心頭になると思うよ。まるで「裁判に訴えろ」って言ってるようなもんだよ。
むろんこれを書かせたのは、弁護士連中だと思う。下手に謝罪してたら、裁判で「罪を認めていた証拠」と言われちゃう、てわけだよ。
一方、遺族の側にはビジネスチャンスとばかり、弁護士が「訴えるべき。しかも賠償金はダメ元で大きく」って強く勧めたと思うよ。もし勝てれば成功報酬ががっぽりだもんね。さらに連中は裁判官の非常識ぶりを知ってるから、「うまくすれば」と思ってる。で今回その読みが当たったんだね。
いつも書くんだけど、法律は一般常識を文章にしたもののはず。だから常識から乖離した法律の解釈・運用はおかしいんだよ。
でも裁判所の非常識や弁護士の許されざる営利主義が、社会常識を吹き飛ばしている。この法律業界の独善が、世の中をおかしくしてるんだよ。