この3月26日に、足利事件の再審判決で菅家氏の無罪が確定した。今回はこれを題材に、「病める司法」を追及する。
なおこのコラムは当欄(21年10月分)の「何のために行う、足利事件の再審裁判」の「その2」といった存在であり、そちらもご覧いただけると幸いである。
さて新聞等は無罪判決を報じた上で、「未だに冤罪の構図は未解明」などとして、今後に向けて、冤罪の発生理由の検証を行うべきとしている。
しかし「冤罪の構図」などはとっくに分かっている。そのキーワードは「刑事事件の有罪率99.9%」である。「99.9%」は100%の代名詞。つまり裁判所は、検察庁が起訴した刑事被告人を何でもかんでもすべて有罪にしてしまう。これが真の「冤罪の構図」なのである。
であれば、捜査の現場とすればこんなありがたいことはない。とにかく犯人らしい人を逮捕する。そして強烈なプレッシャーをかけることにより、思い通りに「自白」させてしまう。これでほぼノルマ達成とすることができるのである。
警察と持ちつ持たれつの検察も、ひたすらその路線を走る。いかに杜撰な起訴であっても、裁判所がみんな有罪にしてくれるから心配無用だ。これで一件落着。これでは冤罪が多発するはずであろう。
仮に、公正な裁判が行われるとしよう。そうであれば、裁判官は「自白」の不自然さに気づく。被告や弁護士の弁明にも耳を傾ける。検察が隠している無罪の証拠の提出も命じる。
その気になりさえすれば、こんな当たり前の裁判は今からでもできるはずだ。
わが国においては、おおむね納税義務は果たされている。その最大の理由は「税務調査が怖い」からである。冤罪多発の原因は、捜査当局にとって怖いはずの裁判所が「大甘」だったことにある。
裁判所が怖ければ、見込捜査で逮捕した人が真犯人でないと分かれば、警察はもうそのまま突き進むわけにはいかない。そもそも自白の強要はできないし、容疑者の弁明にも耳を傾けるより他ない。証拠の捏造も困難となろう。このように、当然の裁判を行うだけで警察等の捜査手法は一変する。これで冤罪は激減するのである。
にもかかわらず、法律業界やマスコミからは、こうした当たり前の議論が全くなされない。今日の惨状を正そうとする気が皆無なのだ。
日弁連は一応、法律業界のみならず冤罪被害者等をもメンバーに含めた、冤罪原因の究明を目的とする第三者機関の設置を提言しているという。
しかし本気でそのようなものを作ったら、最高裁を頂点とする法律業界のヒエラルキーがひっくり返ってしまう。既に「複雑な訴訟構造を分析できる組織が本当に作れるのか」などという反対論が裁判官等から出されているという。このようなできもしないものの提案は、日弁連のアリバイ作りに過ぎなかろう。
菅家氏の木訥な人柄もあって、足利事件は圧倒的な世の関心を集めた。前回述べたようにこの再審の場は、腐りきった警察・検察・裁判所の構造をただす絶好のチャンスであった。
しかし結局のところ、「速やかに無罪を言い渡す」という再審の目的を口実に、宇都宮地裁はおざなりの証拠調べしかしなかった
志布志事件(鹿児島の選挙違反事件)、富山の氷見事件と冤罪が相次ぐ今日においても、その原因究明はお体裁のものでお茶を濁す。これではどうにもならない。
こうした実態を変えるには、一般の人に「有罪率99.9%」という事実を知らしめるが最有効であると考える。常識人であれば「有罪率99.9%」の異様さが直感的に分かる。難しい理屈など不要だ。これだけで「裁判がおかしい」ということに気づいていただけるはずなのである。
むろん法律業界の人(判事、検事、弁護士、学者等)は、ほとんどの人がこの数値を知っている。しかし彼らは正常な感覚(つまり常識)にやや欠けている人種なのか、この数値の異様さ・胡散臭さに気づかない(気づいても黙っているより他ないのであろうが)。
しかしマスコミはこの異様さに気づいているようだ。だから彼らは絶対といっていい程、「99.9%」を伝えようとしない。あらゆる冤罪の検証記事さらには裁判員制度導入の理由の説明にも、頑としてこの必須の数字を使用しないのである。権力に擦り寄る者とすれば、そのようなことをしてはならないのであろう。
しかしこの異様な数値が国民の各般に知れ渡れば、裁判所の権威・評判は一気に地に落ちてしまう。それは裁判所にとって大打撃となるはずだ。
警察や検察は外部に対して大変な権力・実力を有しているから、(捏造や裏金問題等で)相応に評判が落ちてもどうとでもなる。ところが裁判所にあるのは権威だけ。さしたる天下り先がないことが示しているように、外部への権力は特には有していない。
「刑事裁判や行政訴訟などの判決は、行政への依怙贔屓・八百長に決まっている」などといった考えが世間に広まることは、裁判所は絶対に防止しようとするはずだ。そうなれば頼みの権威が失墜してしまう。彼らのプライドもズタズタになる。最終的には、裁判所の存在価値さえも怪しくなってくる。
こうした傾向が強まってくれば、権威の低下を防止するために、彼らはまともな裁判をやり始めるはずだ。検察・警察等の立場など、かまっている余裕などなくなるからだ。
私は4~5年前に、「有罪率99.9%」という事実を知った。まさに腰を抜かさんばかりに驚愕した。そして一瞬で裁判の実態を理解した(むろんその理解内容は正しかった)。
だから私は、「有罪率99.9%」の伝道師としてこれを叫び続けるつもりだ。これが裁判を変えさらには日本を変える最短の道である、と確信しているからである。