名古屋高裁金沢支部は11月30日、福井女子中学生殺害事件の再審決定を行った。「関与を示す客観的事実は一切なく、前川氏が犯人であると認めるには合理的な疑いがある」との判断である。
結論的に言うと、この事件は絵に描いたようなでっち上げである。
昭和61年に被害者は自宅で惨殺された。当初は楽観的な見通しでいた警察は、1年近くも犯人逮捕に至らずあせりの色を濃くする。
これを見た覚醒剤や窃盗容疑で拘留中のワルが、自身の刑を軽減してもらう手段として、知人を犯人に仕立て上げることとした。そして警察に「自分は犯人を知っている」と持ちかけたのである。
この点は、仲間の証言を求める手紙に「この殺人事件が俺の情報で逮捕できれば、俺は減刑してもらえるから頼むぞ」と書かれていることから、あまりに明らかとなっている。
ワルの話はかなり込み入っている。また仲間が何人も登場する。しかし一言でいうと、「人を殺したと連絡のあった前川氏を仲間と車で迎えに行き、知人宅にかくまった。その際の前川氏は血だらけだった」というものだ。
警察はこの悪の話に乗った。しかし全くの絵空事であり、ワルの供述は何度も矛盾にぶつかる。となるとその度ごと実情に合うように話を変更する。
また警察は、その話に登場するワルの仲間も関係者としての証言を求める。むろん大元の話が変わるごとに、関係者の供述も変えていかざるをえない。関係者らも覚醒剤等で弱味を握られているから、警察のでっち上げ作戦に協力するしかないわけだ。
こんな流れで前川氏は起訴された。なお前川氏は、厳しい取調べに対して、見事なまでに「やっていない」と主張し切っていた。
一審判決は無罪であった。一切の物証がない中、コロコロ変わってきた供述の信用性がなく、その他多くの点に矛盾が見られたからである。
これはあまりに当たり前の判決である。しかし何度も指摘するが、この国の一審の有罪率は99.9%。つまり1.000件に1件の無罪判決だったわけである。
ちなみに家族全員は彼の無罪を確信していた。それも当然で、犯行時間には家族と食事をしていたのだ。しかし家族の主張するアリバイは採用されなかった。
それでも検察は控訴した。控訴審は4年半を要したが、検察はこの間、新証拠も新しい主張も提示できなかった。しかし何と控訴審は懲役7年の有罪判決。最高裁も上告棄却判決となり、彼の有罪が確定した。
控訴審の判決理由を簡単にいうとこうなる。「主要関係人の供述はたびたび変遷し、各証人の供述の食い違いや矛盾が存在するものの、それらは些細な点に過ぎず、核心部分の大要は一致しており信用できる」。
もう無茶苦茶。とにかく自分の保身と検察を助けたいがための判決である(なお以上は、主に冤罪ファイル誌の今井恭平氏の記事に基づく)。
この事件は、誰かが「あいつがやった」と言えば、警察の都合で即懲役刑になってしまうことを示している。
物的な証拠は一切なく、不都合な証拠は警察が隠す。証人には警察が脅して都合のいいことを話させる。そして被疑者の自白すらないのである。それでも裁判所はおかまいなしに有罪判決を出す。なんと恐ろしい国であることか。
さて今般の再審決定に際しては、とりたてて新事実・新証拠があったわけではなく、次の二点の「合わせ技一本」となったようだ。
ひとつ目は、そもそも確定判決にはあまりに矛盾が多かったこと。ふたつ目は、裁判所による開示勧告に基づき検察から初めて提出された新証拠の分析結果である。
つまり前の控訴審等の段階では、検察側は無罪を示す証拠を大量に隠していた。そして裁判所はその隠蔽を許していた。これにより彼らは、意図的に犯罪をでっち上げていたのである。
犯罪者とされた前川氏やその家族等の人生は、この大犯罪によりズタズタにされてしまった。しかし警察や裁判所は一人として責任を負うことはない。
前川氏は語気を強めてこう語っている。「失った時間は返ってきません。どうしてくれるんでしょう」。