今年も8月15日が過ぎました。この終戦記念日に向けて、戦争にからむ多くの報道がなされます。そしてその中では常に、空襲等を受けた人による「戦争の悲惨さを若い人に語り継ぐ」といった活動が紹介されています。
確かに「語り継ぐ」こと自体は大切なことであり、この活動に賛辞を惜しむものではありません。しかし私はどうしてもこれに違和感を覚えてしまいます。

さて世界に誇るべき平和憲法を有する国民としては、「わが国はなぜあのようなバカな戦争を行ったのか」の答えに、真剣に向き合わなければならないように思います。
これは一般的には「軍部に指導・強制させられた国家総動員体制によるもの」といった理解がなされています。確かに、政治家・役人はもちろん一般人ですら、下手なことを言うと憲兵や特高に引っぱられてしまいます。最低限の身の安全を図るには、口をつぐむしかなかったのでしょう。

しかし私は、それだけではなかったように思います。すなわち、一般の国民のほとんどの人が尻馬に乗るような形でこれに加担し、さらには強烈に推進したことも大きな要因だったのではなかったでしょうか。

かなり前のNHKの番組です。米軍関係者が戦争末期に「なぜ日本の兵隊は、戦局が絶望的となっても捕虜となろうとしないまま、全員が自殺に等しいバンザイ突撃をするのか」を調査したというのです。
そしてやっとのことで重い口を開いた日本兵捕虜の話は、私をも驚愕させるものでした。それは、軍の命令というよりも母の願いによるものだったというのです。

年老いた母は言います。「おまえにお願いする。まかり間違っても捕虜にはならないでくれ。捕虜になれば私は世間から「非国民を産んだ母親」と蔑まれ、生きていけなくなる。お願いだから、母を助けると思って立派に死んでくれ」。

「バンザイ突撃等は、軍の強制というより家族の懇請によるもの」といった話は、その後に読んだ、山本七平氏の「一下級将校の見た帝国陸軍」にも書かれていました。
そして同氏は、こうした「世間」による苛烈な世論は、軍による指示や強制によって生じたものではないといいます。

確かに軍は、マスコミを利用して世論を好戦的なものに誘導したり、「向こう三軒両隣」といった相互監視的な組織作りをしたのは事実です。
しかし軍の中で、狂信的な好戦家が主導権を握っていったと同様、世論においても強力かつ無責任な軍協力論者を輩出しました。

召集令状の「赤紙」が来れば祝福し、戦死の通知があれば「軍神」になったとして遺族を褒め称えます。戦争への疑問を少しでも口にすれば非国民と罵り、召集等から逃亡したりましてや戦地で捕虜にでもなろうものなら、家族を袋叩きにします。うっかり本音を漏らせば密告すらされかねません。
こうした傾向は「軍への忠誠競争」的にどんどん強まり、やがては軍の意向をも乗り越えるまでに暴走します。これをリードする狂信的な意見に、(身の安全をも考え)一般の人が追従していくからです。これらにより恐るべき存在、「世間」が形成されていったように思います。

山本氏は強圧的な軍の存在を称して、日本は「敗戦により米国等に占領される以前に、既に軍隊に占領されていた」といいます。山本氏流にいわせていただければ、私は「ある時期からは、日本の社会は「世間」に占領されていた」といえるように思います。
山本氏もいうように、出征兵士は「世間」により留守家族を人質に取られていたというべきでしょう。軍すら企図していなかったと思われるこの人質の存在なくしては、特攻隊もバンザイ突撃も、あれほどまでにしっかりした形ではできなかったのではないでしょうか。

しかし戦後、軍への批判や占領軍により改革の対象とされたものを除き、戦争の反省やその原因・責任の追及はほとんど行われていません。軍国主義教育から手のひらを返したような民主主義教育。一例としてこれをみるように、日本人の考え方の無節操ぶりにはあきれるより他ありません。

本来反省の対象とすべきものの中にあって、とりわけ重要であるにもかかわらずまったく欠落しているものがあります。先の「世間」です。
確かに「世間」はつかみ所のない存在です。制度的な改革の対象となる性格のものでもありません。これは国民一人一人の考え方の問題です。道徳観や倫理観といった個々の内心に属するものです。しかしいかに心の問題であるにせよ、ことの重要性を考えれば、これを無反省のまま放置しておいていいとはとても思えません。

ところで、被害者として冒頭の「戦争の悲惨さを語り継」いでおられる方々は、先の「世間」との関わり方はどうだったのでしょうか。
おそらく元来は一般常識人であったであろう方々の多くが、いつの間にか加害者というべき「世間」に追従し、やがてそうした発想や行動をなさっていったものと思われます。

そこで、身を切られるようなつらい思いをなさるであろうことを承知の上で、以下をお願いいたしたく思います。
すなわち当時の世論を形成していた方々には、被害者としての側面のみをなさらず、加害者としての心境をも詳細にお話いただきたいのです。そこでどのような誘導戦術があり、どのような感情の発露に危険性があるのか。そしてその反省の上に立って、どうすれば(為政者やマスコミ等を背景とする)扇動者に乗せられないようにすることができるか、…。

私は基本的に、この国の世論や感情は意図的な誘導に弱いように思えてなりません。とりわけマスコミの影響を極めて強く受けるようです。情けないことに、そのマスコミは為政者に迎合する体質を根強く継続しています。
そして現在においても、意図的な誘導に引きずられていると思われる世論動向は随所にみられます。何より前回の戦争突入は、まさにこのパターンによるものだったわけです。
ですから今いくら「二度と戦争をしてはならない」など力んでも、巧妙な世論誘導戦術にあえばどうなるかも分かりません。

そのような意味からも、そうした何物にも代え難いそうした貴重な体験をお伺いしたいのです。そしてNHK等のマスコミは、こうした特集を果敢に企画していただけたらと考えるしだいです。