11日、東電の社長が謝罪等のため福島県に出向いた。しかし知事は面談を拒否。当然ながらムードは硬かった。
しかしそこで開いた記者会見の質問や回答は、以下のようにあきれる内容だった。
福島訪問の目的等のやりとりの後、復旧の見通しについて聞かれた。回答は「申し上げる状況にない」である。記者はこの回答に納得したのか、次の質問に移る。
ちょっと待ってほしい。復旧の見通しは、ここ福島の人の最大の関心事である。そんな回答は許されない。断定的な回答は無理でも、「長くていつ頃、短くていつ頃」といった、分かる範囲での最低限の見通しを述べなければならない。その上で、はっきり見通すことが困難な理由を説明すべきである。福島へ来る以上は、そうした回答の準備は当然なされていなければならない。
次は「津波への事前の対策が不十分だったのでは」の質問。回答は「国の基準に基づいてやってきたが、現実に被災している。今後は国の機関などと津波対策を検討する必要がある」となる。
まさに「国の基準どおりにやったのだから東電には責任はない」、と言わんばかりのあきれた回答である。しかし記者の重ねての質問はない。
この生ぬるさは何なのか。国の基準の内容などは、東電ら関係者を含めた相談の上で決めているはずだ。仮に国が一方的に決めたとしても、「最高水位5.7m」が非現実であることぐらいは分かるであろう。まして外部からも再三そうした指摘を受けている。実際にはその2~3倍の高さの津波が来たのだ。
であれば東電は、なぜ国とその基準の妥当性を検討しなかったのか。安穏と構えていた理由は何なのか。そしてその責任をどう考えるのか。
何より、その場にいた記者は、何故こうした当然の突っ込みをしないのだろうか。ここは福島である。東電の社長が福島県民への謝罪に訪れているのだ。
記者は、原発で苦しみ抜いている読者や視聴者の代理・代表ではないのか。読者らが当然に疑問に思うこれらを、なぜ聞こうとしないのか。そうした質問を通じて、県民の怒りを彼らに伝えるのが地元マスコミの責務であろう。
さらには、福島第一と第二の原子炉の、今後の廃炉についての質問がなされた。すると「1~4号機の廃炉は可能性を否定できない。5,6号機と第二原発は現時点ではコメントできない」という。
確かに断定的な回答はできないかも知れない。しかし「できる範囲で少しでも伝えよう」という誠意が全く感じられない。「言質を取られないように」という、身の安全を優先する逃げ腰の姿勢ばかり目立つ。
どうやら社長らは、単なる謝罪のための顔見せでいいと思っているらしい。そして記者会見もお体裁でやったに過ぎない。本心からお詫びをしようというわけではないのだ。結局、自分らのしでかしたことがまるで分かっていないのである。
しかしマスコミというのも始末が悪い。東電等からのCM収入が大きいこともあるのだろうが、そもそもその立ち位置が権力寄りになっている。
この生ぬるい質問ぶりがそれをまざまざと示している。情けない限りである。