主権回復の日の式典において「天皇陛下万歳」が叫ばれた。両陛下が退席される際に、会場から発せられた声に基づき、首相を含む大半の人がこれを唱和したというのだ。これは由々しきことである。
天皇陛下万歳は本来、天皇の永遠の健康を臣下が祈るという意味なのであるが、実質的には、軍国主義の象徴であったといわざをえない。
すなわち学徒動員の際に東条首相が発声したように、戦意高揚に向け何かにつけこれを唱えていた。有名な軍歌にも出てくるし、全滅覚悟の「バンザイ突撃」、市民が断崖に身を投げた「バンザイクリフ」というものまである。
靖国参拝や従軍慰安婦問題等に対する中国や韓国の抗議は、まあ「立場の違いなのかな」といった感覚でいた。
しかしここまでくると話がかなり違ってこよう。一国民としてもうすら寒い思いがしてくる。
報道によると、前列の方にいた男性が最初に声を上げた。これに壇上の三権の長の全員が両手を挙げて唱和する等、会場はほぼ三唱に包まれたという。そしてこれには事前の全体打ち合わせはなかったらしい。
はたしてこれは単なるハプニングなのか。首相らは事前にこれを知り、さらには了承していたのか。
むろん了承したとすればその感覚が疑われる。いやハプニングだとしても、何も考えないまま唱和する方がむしろ恐ろしいのかもしれない。
戦前の「天皇陛下万歳」は、とてつもない天皇の政治利用であった。実際は軍人なり何なりが、自分の出世・栄達を狙って行動しているに過ぎないが、これを叫ぶことにより我欲をかなり消すことができる。「あくまで天皇陛下のために動いている」というわけだ。 さらにこれは、組織の論理的な矛盾もごまかすことができていた。
これらによりとてつもない軍国主義を作り上げた。あのデタラメな戦争に突入しこれを維持することも可能だったのだ。「天皇陛下万歳」は、軍国主義のデタラメぶりや非人間性を覆い隠す、いわば「呪文」であったのかもしれない。
戦後はこれらの反省の上に立ち、天皇の政治的利用は許されないとされた。それ故、議論の分かれる所へは天皇は出席しないのが暗黙のルールであった。
その意味から、ただでさえこの「主権回復の日」への出席は強く疑問視されていたのだ。
その席での「天皇陛下万歳」である。これを受けて天皇陛下は壇上で一瞬立ち止まったという。おそらく二度と聞きたくない言葉であったろうと拝察する。
いうまでもなく、この行動はただでさえ芳しくない中国・韓国等との関係を相当に悪化させる。それは対米関係等にも悪影響を与える。
いやそうした外交関係はさておき、何よりこれは一般国民に強い疑念を生じさせる。「安倍氏が標榜していた”美しい国”、さらには憲法改正後のわが国の行く末の実態はこれだったのか」と。