近年、若者を大量に採用しては使い潰すブラック企業が跋扈している。正社員の名の下に異常な長時間労働の強要し、場合によってはパワハラや暴力等もからむ。これには零細企業のみならず、ワタミやすき屋といった名の知れている大会社もブラック企業といわれている。
ブラック企業は、希望に燃えた新社会人の人生そのものを破壊する。大量退職の発生はもちろん、責任感が特に強い者は、うつ病を発症したり自殺に至ることすらある。
となると、いかに就職難とはいえ、ブラック企業への入社は何としても避けたい。しかしどこがブラックかがなかなか分からない。
そこで過労死した若者の遺族が、過労死として労災認定された企業名の公表を大阪労働局に求めた。むろん過労死があれば、そこがブラック企業と推定できるからだ。しかし労働局はこれを拒否。この争いが裁判に持ち込まれたのだ。
しかし一審は勝訴したものの、遺族の必死の思いは二審で逆転敗訴となる。判決は「労災認定されただけでブラック企業という否定的評価がされれば、企業の利益が害される」とする、国(厚労省)側の主張を採用したわけだ。
毎度申し上げるが、まず裁判官は無能の固まりである。人の気持ちはもちろん社会の動向すら理解できない。「国を勝たせるためにはどのような理屈にすればいいのか」しか考えていない。この判決もその典型。だからこそデタラメ行政がはびこるのである。
しかしそもそも厚生労働省(旧労働省)は、労働環境を改善し働く者を守るための役所である。つまり厚労省は、こうしたブラック企業を発生さてはならないのである。
具体的には、異様な勤務がなされている会社に労働基準局が強制立入りを行い、その違法労働をやめさせればいい。これが本来の責務なのである。
そうした著しい怠慢はさておくとしても、せめて企業名を公表しさえすれば、それらの企業はその後、過労死を出さないように労働環境を改善せざるをえなくなる。さらには学生の就職先選定の大きな情報となる。
ところが厚労省は、そうした企業名の公表を拒むことによりブラック企業を助ける。自らの責務を放擲し、人の健康や命より違法企業の利益を優先しているのだ。こんな役所は直ちに潰してしまわなければならない。
厚労省と同様に「恥さらし」なのは経済界である。関西経済連合会は、風評被害を防止する意味から非公表は妥当というのだ。
冗談ではない。過労死を出した以上それは無責任な風評ではない。出してしまった後は、このような改善策を懸命に講じているといったPRをすれば、世は納得してくれるはずなのだ。
どうやら近年の経済界は、過労死を出そうが何をやろうが、大きな利益を出した企業・経営者をもてはやすらしい。したがって経営者は、経済界で大きな顔をする意味からも、ひたすら利益拡大に狂奔していく。
しかし企業は本来、社会の公器といった存在であるべきだ。その意味から企業には「よい製品をより安く」はもちろんのこと、何より雇傭の安定・拡大に貢献してほしい。
今日では、とりわけ若者の雇用情勢が厳しい。彼らに安定的な仕事と収入が確保されなければ、将来の人口問題や社会基盤の面でこの国は由々しき状況にも陥る。
にもかかわらず現在、安易な人員削減、海外移転、非正規雇用への転換、そして長時間労働が横行している。ブラック企業はその延長線に位置する。
リストラ等が倒産の危機を救うやむを得ないものであれば分かる。そうではなく、これらが単に利益拡大の手段に使われているケースが極めて多いのである。
であれば経済界は、社会への貢献についての「採点基準」を大幅に引き上げるべきである。この面で頑張っている企業は大きく賞賛される一方、こうした「卑怯」な手段を採用している企業へは、いかに利益を上げようが「白い目」で見なければならない。
ましてや今回のように反社会的なブラック企業を擁護するなど論外。こうした企業は当然に出入り禁止の「村八分」である。これだけでブラック企業はかなり減るはずである。
それにしても昔の経営者にはもっと気概があったように思う。「貧すれば鈍する」なのか、経済界も墜ちたものである。