1月5日の読売新聞夕刊は、政府(つまり法務省)が司法試験の合格者数を下方修正するという方針であることを伝えました。
司法改革の一環としての平成14年の閣議決定により、本来であれば、「今年(22年)頃には合格者数をほぼ3,000人程度まで増やす」という計画でした。それを見直すことを明言したわけです(なお当初の合格者数は1,000人見当で、ここ2年は2,000人水準までに増えています)。
下方修正の理由は、「無理に増員を目指せば、法曹界の質が低下しかねないため」とのことです。さらに日弁連はこれに加えて、「弁護士の就職難が深刻になる」という点を挙げています。
しかしそうした問題は、当初の計画段階で分かっていたはずです。それでも「国民が弁護士を容易に利用できるようにするためには、大幅増員が必要」ということで、この計画が正式に決定されていたはずではないでしょうか。
しかしペーパー試験を難しくすれば、本当に弁護士等の質が向上するのでしょうか。私はそうは思いません。試験が難しくなればなるほど、やたらペーパー試験に強い人だけが合格するだけの話です。そういう人は、いわゆる「頭のいい」人なのかもしれません。しかしそれが本当に弁護士といった法律家に適しているかどうかとは、別問題のように思います。
私は本業の関係や、多くの行政訴訟を行っていること等から、弁護士をよくみることのできる立場にいます。そうした面からはっきり申し上げると、彼らの少なからぬ人は、弁護士の素養・資質に欠けているように思えてしまいます。
弁護士に必要な素養とは何でしょうか。それは「人の気持ちが分かる」が最大だと思います。弁護士が依頼者の代理人として動く以上、それは当然のことといえましょう。
その他としては、まず常識を中心とするバランス感覚がある。折衝力がある。法律を含む文章を的確に読みこなすことができる。頭と口が達者で文章力もある、等々です。
そして世の中がこれらの素養の重要性を認識したからこそ、法科大学院を設け、それらを優先的に身につけさせようとしたわけです。
法律的専門知識は、その次の段階で要請されるものです。したがって、ペーパー試験的な高度な実力も必要となります。しかしそのレベルのものは、実務に就いてからしっかり学べば十分ではないでしょうか。
第一、ペーパー試験的実力をいくら付けても、複雑な実務をこなせるはずがありません。ですからスタート段階では、ある程度の法律的素養があればいいように思います。したがって彼らのいう「法曹界の質の低下」など、さして問題にするに足りません。
しかし下手をすると、先に述べたような素養に関しては、弁護士は一般の人に比べて劣っているのではないでしょうか。それは、弁護士が報酬を払ってくれる大切な依頼者を、すべて事務所に呼びつけていることから分かります。彼らは、自身の仕事がサービス業であるということを認識していないのでしょう。
その根本は、彼らがやたら難しい試験に合格したことによる、強烈なプライドにあるように思われます。またその試験の難関さは、合格者の「箔付け」になっています。
おそらく彼らの多くは、「弁護士になりさえすれば、一生いい思いができる」と考えて、死ぬ思いの勉強を続けてきたのでしょう。だからその試験に合格して箔が付いた以上は、その「いい思い」は、当然の権利であると考えている節があります。
弁護士の本来の実力は、ペーパー試験のでは測ることはできません。これを一言でいうと「向き・不向き」です。そして先に述べた素養を持っている人が、弁護士に向いている人です。このような人は、おそらく立派な弁護士になるでしょう。
その一方、これらに向いていない人でも、試験にさえメチャ強ければ合格してしまいます。そしてその人も当然のように「いい思い」を要求します。そして弁護士会も、その利益擁護団体である以上は同じことを言います。
日弁連による「弁護士の就職難が深刻になる」という増員反対の理由が、その点を明示しています。つまり、「弁護士になった以上は、従来どおり「いい思い」のできる職場が与えられて当然」という考えです。
何より、試験が易しくなり「合格者の質が低下」したのでは、箔が付かなくなります。となれば、弁護士(さらにいえば法律業界)の社会的地位が大きく下がってしまします。「合格者数の増員防止」の本音はここにあるように思うのです。
しかしそもそも、本来弁護士を必要としている人は、現状の何倍もいるのではないでしょうか。また地方都市には弁護士がほとんどいない、というのもよく知られた事実です。
結局のところ、弁護士報酬が高すぎるために依頼できないのでしょう。であれば、報酬の水準を下げれば仕事が増えるはずです。何より、着手金をゼロ水準にして、成功報酬に一本化すれば、依頼者は相当増えるのではないでしょうか。
要するに汗をかきさえすれば、仕事(したがって就職先も)あるはずです。そして本来それを狙っての合格者増員計画だったはずなのです。
以上から、”人為的に試験を難しくすることにより合格者に箔を付け、汗をかかなくとも合格者全員が「いい思い」ができるように”、と言わんばかりの「合格者数の増員防止」方針は、いかがなものかと思うしだいです。
はっきり申し上げて、護送船団行政を思わせる今日の弁護士業界は、ぬるま湯状態にあるように思えてなりません(むろん多くの立派な弁護士がおられるのも事実ですが)。
やはりこの業界も、切磋琢磨により実力を付けた人が生き残り、そうでない人が脱落するという、あたりまえの競争社会でなければなりません。こうした緊張感が支配する中にあって初めて、われわれ依頼者が、しっかりした法律的サービスを受けることができるようになると考えるしだいです。