学校や教育委員会は、生徒の自殺を事故死と偽り自身の保身を図るという。12月26日のNHK「追跡!真相ファイル」”消えた子供の自殺。自殺が何故事故死に”の番組だ。これにはいさか驚いた。「そこまでやるか」という思いである。
例えばこんなケースだ。煙草を持っていた生徒を1時間ぐらいとことん叱責する。その直後にその生徒が首つり自殺をしてしまう。
数日後、校長等が遺族を訪問。「これは事故死であったことにしてほしい」と要請する。遺族は怒って拒否するが、学校側は一方的に事故死と教育委員会等へ報告してしまう。
一方、多くの父兄が自殺の話を耳にする等により、騒ぎになりかねない。そこで父兄への説明会を行う。ただし事前にPTAの役員等へ根回しをした上で、会合では事故死として説明し納得させてしまう。こうして学校を平穏に持ち込む。
理由は、実態把握などと称して騒ぎを大きくする校長は減点。もみ消そうが何をしようが、ともかく平穏に学校運営をする校長が得点。教育委員会がこうした人事考課を行うからである。むろん「事なかれ」は教育委員会にも好都合なのだ。
生徒指導・叱責は、やりようによっては生徒を自殺にまで追い込む。人の気持ちの分からない半人前が、多感な子供を指導の名の下にいたぶればこうなるであろう。実はこうした例はかなり発生しているという。
しかしこの卑劣な事なかれ主義は、こうした恐るべき事実に蓋をしてしまう。自殺に追い込んだ教師を含め、全国の学校は何らの反省をすることなしに悲劇を繰り返す。この問題は、教育界を挙げて研究しなければならない根の深い課題であるにもかかわらずである。
これが組織的な悪弊であることは統計が示している。警察の統計では、小~髙校生の年間自殺件数は約350件。しかし学校側が文科省に報告している数は約200件しかない。まさに番組の副題”消えた子供の自殺”である。
しかも文科省への自殺の理由覧における教師の叱責はゼロである。明白かつわんさとある叱責による自殺件数が皆無というのだ。その代わりに理由を不明とするものが5~6割に上る。
要するに、責任問題につながるものは全て「不明」で処理してしまう。再発防止などはハナから頭にないのである。
こんな話もあった。叱責による自殺が明白であるにもかかわらず、事故として報告した校長が生徒の親にこう説明するのだ。「広い意味で自殺も事故の範疇に入る。だから事故と取り扱ったのだ」。自己保身のためにはこうした詭弁もひねり出すわけだ。
むろんこの全責任は文科省にある。このようなデタラメを放置(つまり許容・推奨)しているからこそ、学校現場がこれをやるのである。
実は文科省(その担当者)自身が「事なかれ」の保身の固まりである。彼らは教育を手段として出世したいだけ。極論すれば、生徒の命などどうでもいいのである。
番組の担当者は文科省に出向きこうした実情をどう思うかを質す。しかし「検討する」といった、とおり一遍の回答で引き下がってしまう。
番組の担当は一体何をやっているのか。ここまでの事実を引き出しながら何故もっと食い下がらないのか。
せめてこの程度は言ってほしい。「その気になればインチキ統計ぶりはすぐ分かるはず。であれば文科省はなぜ”直ちに統計を修正し、再発防止に努めよ”と指示しないのか。それをやってないのは怠慢ではないのか」。
まあ権力ベッタリのマスコミ(ましてNHK)には、(組織の末端には強く当たっても)権力者に対するこうした発言は期待してはならないものなのか。
いずれにしても、最も教育に携わってはならない考え方の所有者が教育をやる。これにより教育をズタズタにしている。
にもかかわらず、そこを的確にえぐったこの番組も、致命的な突っ込み不足なるが故に、単に「おもしろかったね」で終わってしまったのである。