今朝の新聞には、給費制が復活することを伝えています。貸与性への変更により廃止が決まっていた司法修習生への月額20万円の給料(給費制)を、当面1年に限り維持するというものです。
給費制の廃止は、長い議論を経た司法改革の一環として、今年の10月から実施されることが何年も前に決まっていました。修習生の人数が大幅に増加する等により、給費制の維持には年間100億円近くを要することも大きな要素です。
しかし既得権を失う結果となる弁護士業界は、今年になってこれに猛反発の動きを示しました。その主な理由として「富裕層しか弁護士になれなくなってしまう」という点を掲げています。
とはいえそれに代わる貸与制は、無利息で返済開始は5年後と、かなり有利な条件となっています。彼らの主張は「驕りと甘え」としか思えません。
それでも彼らのそうした運動は功を奏し、9月頃にはいったんは給費制の維持が決定されました。しかし「やはりそれは無理がある」という真っ当な意見が国会で多数を占め、10月初め頃に給費制は予定どおりの廃止が決定されました。
ところが昨日、国会議員に多い弁護士が中心となって、この「大どんでん返し」が行われたわけです。
実は私は、8月に「修習生への給費制存続運動にみる、弁護士の驕りと甘え」というタイトルで、弁護士業界のこうした動きを強く批判しています。
にもかかわらず再度この点を題材としたのは、こうした動きに「自分さえよければ」という、日頃の弁護士特有の体質を強く感じたからです。
私は前回、次のように記しました。
“(弁護士業界がいう)「市民の権利の守り手」と言うのは耳障りのいい言葉です。しかしその実態は、「弁護士に依頼した市民の権利の守り手」に思えてなりません。そして依頼した市民や団体の相手側の市民等の権利が、弁護士側のしたたかな主張につらい思いをしているという面が強いのです。
ちなみに私は相続税業務を専門とする税理士です。私は遺産分割や遺留分減殺請求等で、こうした場面を何度となく見聞しています”。
元来、民法でいう親族・相続に関する分野では、法律は単なる理屈に過ぎません。つまり理屈・法律よりも、ずっと「人の気持・感情」を重要視すべき領域です。
しかしともすると弁護士は、依頼者の利益(実は自分の利益)を守ることを錦の御旗に、法律・理屈をたてに強引な主張を行います。周りとの調和や円満は目に入りません。つまり「自分(依頼者)さえ良ければいい」という発想です。
今回の給費制復活のどんでん返しは、まさに「自分さえ良ければ」という日頃の行動様式そのものというより他ありません。ここには弁護士の良くない面が、典型的に出てしまっているのです。
むろん「富裕層しか弁護士になれなくなってしまう」などは、いつもの空虚な屁理屈にすぎません。
日頃の業務と同じく周りが見えないのでしょう。財政難の中、若者は就職が困難で街にも失業者があふれる今日、常識人なら「自分たちは特別」などとは、とても恥ずかしくて言えないはずです。
むろんすべての弁護士がこうであると決めつけるつもりはありません。中には(かなり少数派ですが)気さくな方も立派な方もおられます。
しかし繰り返しますが、周りや世の中の全体を見渡せば、(いかに司法試験が難関であれ)今日こうした主張は「驕りと甘え」以外の何ものでもありません。冷静にお考えいただきたく思う次第です。