法科大学院を修了しても司法試験に受からない。弁護士になっても就職先がない。こうした現状を変えるべく、法曹養成制度検討会議が「法曹人口拡大路線の中止」といった試案を出した。
朝日等の各新聞の社説もほぼこの路線に乗る形で、「法律家への潜在需要をすくい上げ、活動領域を拡大すべし」といった主張を行っている。しかしこれらは見当違いである。
なぜ弁護士への需要が増えないのか。答えは簡単。一般に彼らのレベルが低く、現実の問題の対処にあまり役立たないからである。
早い話、弁護士のほとんどは法律しか知らないといってよい。だから争いの背景分野の知識がない。また人の気持ちが分からないし分かろうともしない。
例えていえば、語学だけしか知らない通訳が役に立たないのと同じである。通訳は、相手国の文化や国情、通訳対象の業務分野さらには人の発想ぶり等への理解がなければつとまらない。弁護士も、法律がやたら詳しいというだけでは世の中に通用しないのだ。
ちなみに私の専門分野は税金と不動産であるが、弁護士でこれらが分かっている人はほとんどいない。だから彼らに依頼する気は起きない。
また人の気持ちの分からない弁護士に、遺産分割や離婚といった相談をするのはお勧めできない。彼らの勝手な主張により話がややこしくなり、関係者間の憎しみが増すばかりとなりかねないからだ。
弁護士への依頼を増やすには、まず彼らが謙虚になることである。そうすれば人の気持ちも分かってくるだろうし、自身がいかに勉強不足であるかにも気づく。
この際、職にあぶれた新米弁護士には、中小の不動産会社に就職し、1~2年間その営業を担当すること勧めてみたい。
そうすればまず不動産の現実の業務知識が身につく。組織の厳しさも分かるし、セールスを通じて人の気持ちやお客様第一の姿勢が体得できる。いいことづくめである。
その上で弁護士業を開業すれば、少なくとも不動産関係の依頼はわんさと来るはずだ。生きた不動産知識を前提に法律問題を考えることができる上に社会常識もある。謙虚だから腰も低いし外部の人脈もできる。一気に人気弁護士になってしまうだろう。
逆にこの話は、一般の弁護士の「社会人としての認識」の欠落ぶりを浮き彫りにする。だから弁護士の実態を知っている人達により弁護士が話題に上ろうものなら、その悪口が出るわ出るわでその座が一気に盛り上がってしまう。
さて問題の本質には、「司法試験のような超難関の試験の合格者は、いい暮らしができて当然」という、論外の「信仰」というべき存在がある。
確かに昔は、毎年の合格者を600人程度に絞ることにより弁護士の数をかなり抑制してきた。これにより「法律の屁理屈を振り回すだけ」といった不出来な弁護士含めて、この「信仰」を実現することができていたのだ。
先般の法科大学院の創設や合格者数の2,000人以上への増大は、そうした弊害を除去すべく行われたものだ。
しかしこの改革は「仏造って魂入れず」だったようだ。「謙虚になって実力アップを」という魂を入れようとしないまま、先の「信仰」を維持しようと躍起になっているように思えるのだ。だから先の不動産会社への就職など思いもよらない。
どの士業・業界も、それで食べられるかどうかはその人の力量次第だ。弁護士といえども実力不足の者は退場いただくより他ない。試験が難しいかどうかは無関係なのだ。
弁護士への依頼を増やすには、その前提として彼らの実力アップが求められよう。そして健全な切磋琢磨により、利用者に良好なサービスを提供していただきたい。そうなれば活動領域も自ずと広がってこよう。
実はその一方で、弁護士業界の不振の原因には、法律の仕組みや裁判そのものが社会のニーズにマッチしていないという、かなり構造的かつ根深いものがある。
この点は次の「下」において述べてみたい。