従来まで、「弁護士の就職先不足の根源である弁護士の増員策をやめるべき」とする法曹養成制度検討会議の試案を批判している。弁護士の就職先不足の結論を一言でいえば、「弁護士の力量不足に起因している」である。
ところが今回、「弁護士業界の苦境を救うため」としか思われない、あきれた調査報告が最高裁から飛び出した(5月14日付け読売新聞)。本稿は番外編として、この報告を批判する。
この調査の結論は、裁判官が「弁護士のいない本人訴訟では裁判は不利になる。だから、妥当な結論を得るには弁護士に依頼する必要がある」と考えているというもの。
これは最高裁司法研修所による初の調査で、全国の地裁で行われた285件の本人訴訟について、担当裁判官から得た回答に基づいているという。
調査によると、これらのうち18%が先の「弁護士がいれば有利だった」に該当。「影響はなかった」とする訴訟も56%あったが、最高裁はこれにつき「事実関係が単純で、弁護士の有無で差が生じにくかったケースが多い」と分析しているという。
となると「これは弁護士への肩入れ、依怙贔屓ではないのか」という疑念が湧いてくる。すなわち、「裁判をやるなら大枚払って弁護士に依頼しなさい。そうでないと私が判決を不利にしてしまいますよ」と、裁判官が言っているようにしか聞こえないのだ。
とはいえ担当裁判官は、「弁護士がいれば有利」とする理由をこう述べているという。「弁護士であれば、(本人訴訟と異なり)主張の正当性に関して合理的に主張・立証することができる」。一見もっともらしい理屈である。
しかし担当裁判官が、本人訴訟の場において主張等の不足を感じているのであれば、その本人に「この部分の主張を補足してほしい」等の助言をしなければなるまい。
それをせず、本人に有利になる可能性を放置したまま、本人不利の判決を出してしまうなどという裁判が許されるのか。
ただしそうした助言等にも限界はあるだろう。したがって訴訟のプロと素人の間では多少の差が出るのはやむを得まい。
しかし調査結果はそんなレベルではない。裁判官が公然と「事実関係が複雑な事案の大半は弁護士側が有利」など明言するなど、傍若無人で不公平きわまる。憲法の保障する裁判を受ける権利の侵害といわざるをえない。
そもそも裁判は基本的には本人訴訟が前提なのではあるまいか。事実、本人訴訟の割合もそう少なくないはずである。
ただし裁判所にしてみれば、素人が来るよりも、法律や裁判の仕組みを十分知っている弁護士に来てもらった方がやり易く好都合であろう。しかしそうした都合を国民に押しつけるのは許されないはずである。
ちなみに登記に関しては司法書士というプロが存在し、大半の登記は彼らの手により行われている。しかし中には自分で登記を申請する人もいる。
登記所はそうした素人に不備な点を修正すべくいろいろ指導する。対応はかなり親切であるという。その結果あれこれ苦労するとはいえ、最終的には登記は無事完了する。裁判所になぜこのような当たり前の対応がとれないのか。
ところで、本人訴訟を選択する理由の中には、「弁護士同士、さらにはこれに裁判官を含めた法律業界の談合的な裁判を防ぎたい」という点も含まれている。すなわち彼らに任せると、「面倒な話に踏み込まないまま簡単に結論を出してしまう」という傾向があるからである。むろんその方が彼らは楽だからだ。
この際もう一つ。実は裁判所が弁護士に肩入れしているというのは歴然たる事実である。弁護士に訴えられこれに筆者が本人訴訟で対抗した訴訟の和解に際しては、露骨に裁判官からその旨を伝えられた。
さらに行政訴訟における本人訴訟は裁判所に舐められてしまうことが分かっているから、筆者は、形だけでも弁護士を立てることが多い。
さて話を本筋に戻して、この調査結果がいかに法律仲間である弁護士の苦境を救おうと意図するものであるかに関して、以上の内容等を箇条書きする。
・今日、「弁護士の就職難」にみられるとおり、弁護士業界が不況のまっただ中にありそ れを「何とかしたい」という思いが法律業界に充満していること
・今回の調査結果である「弁護士に依頼しないと裁判が不利になる」は、これへの援助策 そのものであること
・しかし裁判官が言う「弁護士に依頼しないと裁判が不利になる」などは、いかに裁判が 杜撰に行われているかの証明のような内容であること
・通常、「裁判官がどのような思いで裁判を行っているか」などという調査結果が最高裁 から公表されることなど、今まで滅多になかったこと
以上のとおり、この調査結果は「従来から弁護士への依怙贔屓を行っていた」ことを明言し、その上で「今後は本人訴訟をやめた上での弁護士への依頼」を強要しようとするものとしか思えない。
何より情けないのは、このような調査結果を公表することの善悪を判断できないという最高裁のレベルである。
このような裁判所しか持つことのできない、我々国民の不幸を嘆かざるをえないのである。