昨日の読売新聞夕刊に怖い話が出ていましたね。福島警察署での取調べ中に騒ぎ出した40歳代の男性を、署員三人が床にうつぶせに押さえつけたところ、急に意識がなくなり間もなく死んでしまったというんです。
目立った外傷はなく、警察は司法解剖して死因を調べるんだそうです。

素人流に考えれば、これ「殺人」っていうんじゃないですか。だって屈強な男三人から目一杯床に抑えつけられれば、ものすごい圧力がかかるはずです。持病があったり当たり所が悪かったりすれば、死ぬことだってあるでしょう。
いくらカチンときても、三人で襲いかかることはないじゃないですか。これは明らかに、制圧に名を借りた「暴力」ですよ。

警察署内は身内だけの世界で、他人の目は入りません。何でもやれてしまうわけです。まさに無法地帯。そこに問題が起きてもほとんどをもみ消すことができちゃいます。だから連中は、平気で荒っぽいことをやるわけですよ。
おそらく警察は、この件でも「適正な公務の執行だった」などと言うでしょう。遺族が警察を訴えても、お友達の検察は不起訴にするに決まっています。いつものパターンですね。

実は検察庁は従来から、身内(刑務所,入管等)や仲間の警察等の者の違法行為については、滅多に起訴しようとしませんでした。
警察や刑務所等は強い権限を持っています。本来ならその過剰な行使は、「無茶をすると牢屋に入れられてしまうかもしれない」というブレーキ役が、これを抑えるはずです。ところが検察庁が、そのブレーキ役を放棄してしまっているわけです。これでは好き勝手の無茶がまかり通るのは当然でしょうね。

ところがうれしいことに、今日ではそういうわけにはいかなくなりましたね。去年の5月から、検察審査会に起訴等への強制力が付与されたからです。
これにより検察庁が独占していた起訴権の恣意的な運用に、大きな歯止めが掛けられたんですよ。もうその第一号が出ています。11人の死者を出した明石の花火大会の件です。その警備の責任に検察から不起訴処分を受けた警察幹部に対して、今年の1月に検察審査会が強制起訴の決定を行っています。

繰り返しますが、本来この強制起訴権の付与は、警察等の権限の乱用への強いブレーキ役・歯止めといった存在です。にもかかわらず未だに警察内部では、こんな無茶が行われているわけです。その背景には驕り・思い上がりが見て取れますよ。時代の流れが分からないんですね。
こんな連中は、公務員ナントカ暴虐罪とかいうヤツで、牢屋に叩き込めばいいんです。これによって警察等の連中の頭をドカンと冷やすんですよ。

さて警察は、この事件の正式発表をどうすんでしょうね。まあ司法解剖は「暴力行為はなく、既往症による突発的な死」とか何とか言うんでしょうが、むろんそんなものをおいそれと信じるわけにはいきません。
遺族の方は、(警察が行うであろう脅しや誘いに負けず)是非犯人を訴えていただきたく思いますね。検察が起訴しなくとも、おそらく検察審査会はきちんとした結論を出してくれるはずですから。

まあ本音をいえば、起訴しても、どうにもならないヒラメ裁判官が連中を無罪にしてしまうように思えてなりません。しかし最近の流れからすると、まともな判決が出ないとも限りませんよ。
しかしまずは、彼らを裁判所の被告席に立たせることです。まして牢屋入りの可能性もゼロではありません。このプレッシャーは大変なものがあるでしょうね。

何度もいいますが、こうした全般的な圧力こそが権力を有する者の驕り・思い上がりを抑えます。
さあ今後この事件はどのように展開していくか。これからはまさに見物(ミモノ)ですネ。