法務大臣は10月6日、大阪地検特捜部の一連の不祥事に関連して、検察組織や捜査のあり方を検証する第三者機関を設置すると発表した。検証機関のメンバーは、法曹界や実業界などから幅広く集めるのだそうだ。
そこでは、この事件の検証のみならず、人事評価の仕組みを含めた検察官人事も対象とするという。
これは全くの茶番。いつもながらの役人や政治家によるごまかし・問題先送り策である。
第一、外部の者などが検察組織を変えようとしても、誇り高い検察官がいうことを聞くはずがない。組織・人事は役所の生命線。検察官は、弁護士(法曹界)などは格下で、民間人など論外の身分の者と思っていよう。
もし本気でやろうというのであれば、検事総長の人事を動かすことのできる政治の力しかない。それこそ国家戦略局といった組織の出番である。そこで(有識者の意見を聞きつつ)政治家が基本方針を決める。その上で細部は役人に詰めさせ、一気に検察庁に関する基本法を改正してしまうのである。
しかし今日の力学ではそのようなことはとてもできない。各省庁は「あの検察がやられるのであれば、ウチもやられかねない」と考える。つまりそんな荒っぽいことはやれば全省庁を敵に回し、その大反対を受けてしまうからである。
それも分かっての上で、第三者による検証機関の設置案である。だから「全くの茶番」なのである。
しかし検察の解体的出直しをやらせるのは極めて簡単。諸悪の根源である裁判所の「八百長体質」をやめさせるだけのことである。そしてこの点は、既にタイトルを「腐敗まみれの検察の革命的改善策」とする本稿に詳しく述べたとおりである。
ちなみにその要旨は次のとおり。
検察はなぜ人質司法による自白の強要、証拠の隠蔽・捏造・改竄等々を行うのか。それは裁判所がそうした事実を承知の上で、みんなこれを認めてくれるからである。であれば検察官は皆これをやる。そうすれば目標とする有罪判決が簡単に得られる。まさに省エネ捜査。おまけにご都合主義的でっち上げまでもできてしまう。
さらにこれを納税申告を例に補足説明をする。
今日ではおおむね適正な納税が実現されている。その最大の理由は、「税務署・税務調査が怖いから」であるといって過言ではない(むろん倫理観もあるが)。
仮に税務調査の場で税務署員が、脱税のほとんどすべてを見逃すとしよう。であれば多くの納税者は脱税に走ることとなろう。
そのような中、ある大脱税が偶然に露見した大企業(検察)があるとする。そこで(法務相のいうように)この脱税体質を改善すべくその検証委員会を作った。
しかしそこからいかに立派な勧告が出されようが効き目はない。せいぜい面従腹背がやっと。脱税が会社やその構成員に大きな利益(省エネ捜査等)をもたらす以上、やめるはずがないからである。
脱税(不当捜査)防止には、税務署(裁判所)が脱税等に目を光らせ、厳しい税務調査(審査)をするのが一番。税務署(裁判所)がこうした本来の仕事をすれば、脱税や不正など一気に減るのである。
裁判所に真っ当な仕事をさせるのも、そう難しいことではない。前稿でも述べたとおり、こうした「裁判所主犯説」に基づき世の中が裁判所を厳しく監視すればいい。検察と異なり世論に抗す術のない裁判所は、これに逆らうことはできないからである。
ちなみに裁判所は、この事件に関して既に対応を激変させつつある。
まずは最高検が前特捜部長らへの接見禁止を求めたところ、裁判所は却下している。しかし今までの裁判所は、否認している容疑者の接見禁止はほとんどすべて認めていた。つまり裁判所は”外部と接触したけりゃ「自白」しろ”とばかり、検察とグルになって「人質司法」を推進してわけだ。
また村木事件における広告会社の役員に関する公判では、裁判所は捜査段階で作成された調書を証拠採用しないこととしている。特捜部が脅迫的な取り調べを行っていたというのがその理由である。脅迫的な取り調べによる調書が裁判所に採用されないのであれば、検察はこれをやっても意味がなくなろう。
これらからも分かるように、既に裁判所は批判が飛び火してこないようにけんめいに逃げをうっている。むろんこれをそのまま逃がしてはならない。彼らを捕まえて批判の前面に引きずり出さなければならない。そしてこれが検察改革の何よりの特効薬なのである。