はじめに
最近マスコミ等の一部から、「容積率の大幅緩和により景気改善を図ろう」とする主張が出ています。「制限により小さい家しか建てられないというのであれば、これを緩和して狭い土地でも大きな家を建ててもらおう。何よりこれなら財政資金は不要」というわけです。
しかし一見もっともらしいこの主張は、「容積率制限の重要性に理解を欠いた暴論」というより他ありません。
そこでこの欄で、容積率による規制の存在意義を確認しつつ、こうした考え方を批判します。また返す刀で、学者先生等の不動産に対する知識の欠如ぶりについても斬り込むこととします。
1.安易な容積率緩和策
容積率とは、敷地面積に対するその土地上の建物の延べ面積の割合をいいます。容積率は建ぺい率とともに、各地域ごとにその上限値が指定されています。この上限値を設定することにより、その土地に建てることのできる建物の大きさを制限しているわけです。
これらは街の過密の抑制や、生活環境の確保といった都市計画の観点からの、きわめて重要な規制となっています。
ところが最近は、冒頭のような主張が一部から声高になされるようになりました。その典型がこの2月に週刊誌に掲載された、某大学教授による「平成の資産倍増計画」なる次の主張です。
「日本全国の容積率などを一挙に2倍に緩和すれば、相当な建て替え需要が生まれ雇用創出等が促進される。政府は早急に行うべき政策と考える」。
また当時、テレビ東京のワールドビジネスサテライト(WBS)も、同様のことを力説していました。実はつい1週間前も、WBSが推奨していた「規制緩和仕分け」のリストに、この容積率緩和が載っていたのです。実はこのテレビ報道が、当ブログを記すきっかけとなったしだいです。
しかしこれらの主張は全くいただけません。これを例えていえば、「速度制限を200㎞というように倍に緩和すれば、若者の車離れは阻止できるし、スポーツカーを中心とする高級車の需要をも喚起する。そうすれば景気はよくなる」といった内容と同次元のものです。要するにこれは、交通安全や街の安全といった、制限の趣旨を無視した暴論といわざるをえません。
2.容積率規制の意義
そもそも都市計画の最大の目標は、災害の防止にあります。とりわけ怖いのは火災。今日では大地震発生の可能性も指摘されています。こうした大火災・大地震による被害をいかに最小限に減らすか、これらが都市計画に課された責務なのです。
その対策の一番は、都市の過密の抑制です。建物が密集していれば、火災はたちどころに延焼します。人の避難も困難にします。だからこそ住宅地域をも含め、容積率制限によって街の過密化を防止しているわけです。
そもそもわが国の容積率の制限値は、今でも欧州諸国に比して大幅に緩くなっています。それはロンドンやパリ、ベルリンといった欧州の大都会(そこには超高層ビルの林立はない)を想起するだけでご納得いただけましょう。また緑豊かでゆったりとした欧米の住宅地も魅力的です。
こうした中、容積率制限が倍になった超過密の街を考えただけで恐ろしくなります。むろん道路幅員は現状のままですし、消防体制もとてもこれには対応できないでしょう。そこにひとたび大災害がおこれば、一体どのような事態になるのでしょうか。
生活環境の確保も忘れてはなりません。大都市近郊の住宅地は、既に今日かなりの過密状態となっています。さらに近年の容積率等の実質的な緩和策もあって、木造3階建て等のミニ開発住宅地区がますます増えています。
その上で容積率を大幅に倍にアップするといいます。それは庭のつぶし、土地のすべてを3~5階建ての建物の敷地にすることを意味します。これでは土も緑もあったものではありません。むろん日照や通風は絶望的に損なわれます。となれば健康・衛生面のみならず、心理面までもかなりの悪影響を受けるでしょう。
実は本音を言えば、「倍」は物理的に全く不可能であり、2~4割アップでさえ今述べたようなことになるはずです。
ついでにいえば、現状の都市計画を前提に造られているはずの上下水道等の供給処理施設は、全くこれに対応できません。さらには鉄道等の交通機関が都心部等の過密に耐えられるのでしょうか。まさに疑問だらけです。
要するに今日の社会基盤は、現行の容積率を前提に造られているのです。したがってこれを一気に何割増しをすることなど、不可能というより他ないわけです。
3.社会的不公正
これらの他、容積率の大緩和策は、大きな社会的不公正をも招来させます(これは小さな緩和でも、以下の理屈は同じです)。
既にわが国の総人口は減少に転じています。経済規模も、せいぜい横ばいがやっとでしょう。こうした事情を反映して、地方の土地や大都市の郊外地域(以下「郊外・地方の土地」という)の地価は、バブル後の約20年間、ずっと下落を続けています。
その一方、地価の上昇の可能性のあるのは、東京やこれに準じる地方の中核都市の都心部、さらにはその近郊の住宅地(以下これらを「大都市部の土地」という)に限られます。理由は、地方から大都市への人口流出が続き、また大都市郊外の住宅地でも都心回帰が進んでいるからです。
ただしその「大都市部の土地」でさえ、全般的には下落傾向となっています。そもそも土地は、全国的にみて圧倒的に供給過多にあるからです(線引きで指定した市街化区域が広すぎたことが、その主な原因であると考えます)。
そもそも他の財の価格と同様に、地価も需要と供給の関係で決まります。その中にあって、容積率を引き上げることは、土地を新規に供給することと同義です。今まで30坪の家しか建てられなかったものが50坪まで建てることができる、といったことになるからです。
つまり容積率の緩和は、供給の増大効果により、ただでさえ下落傾向にある地価を、一層引き下げる効果を生じさせるわけです。
とはいえ、土地面積の増大を意味する容積率の緩和は、需要の根強い「大都市部の土地」の所有者にとっては、かなりのメリットが生じます。その意味から、場所によっては新たな大型建築のニーズがかなりの規模で生じましょう。また住宅地でもアパート建築や自宅の増築等行われるはずです。
しかし人口減少・GDP横ばい(または減少)の今日、ビル需要やアパート需要はもう増えません。ただでさえ供給過剰にある中、これらの新規の供給は他のどこかの空室を生むだけのことです。
実は既に、東京の丸の内地区にそれが顕著に表れています。近年この地区に限って、容積率がかなり引き上げられました。その結果ご承知のとおり、この地域はみるみる超高層化されました。これにより、貸しビル等の供給量が一気に増大したのです。
とはいえここは大人気地区ですから、何とかテナントは埋まります。しかしそうであればゼロサム社会の今日、周辺地区等ではその分の空室が増えてしまいます。何やら「一将功成りて万骨枯る」といったイメージです。
余談ですが、三菱地所をはじめとするこの地域の地権者は、この容積率の大緩和によって、総額で数兆円にも及ぶであろう莫大な利益を手にしたはずです。こうした経済的利益に対する課税が何らなされないというのが、私には不思議に思えます(確かに「容積率を引き下げたときにどうするのか」、という問題もありましょうが…)。
さて「郊外・地方の土地」にあっては、いくら容積率が引き上げられてもその使い道はありません。その一方、「大都市部の土地」に建築が進めば、その分の人口の流出・都心回帰が一層進みます。つまり地価の下落に、より拍車がかかることとなるわけです。
多額の資金を投じて「郊外・地方の土地」を購入した多くの人にとって、この資産デフレはつらいものがありましょう。ただしそれが一般の社会現象の変化によるものなら、いたしかたないというべきかもしれません(いわば自己責任)。
ところが、それが人為的な「容積率緩和策」などによるものであるならば、地方の住民等にとってはたまったものではないでしょう。
これをやれば、都会のごく一部の富める者がますます富み、地方等の一般庶民や貧しい者は、より貧しくなるでしょう。まさに「一将功成りて万骨枯る」の全国版です。
先の評論家は、「容積率の緩和は血税を使わない」などといいます。しかしこれによる全国の土地の時価総額は、大きく下がると思われます。
すなわち「大都市部の土地」の容積率アップのメリットは、超過密化によって生じる安全や環境等の悪化により、かなり減殺されてしまうでしょう。その一方、「郊外・地方の土地」のデメリットは、確実にその分の地価を引き下げるはずだからです。これではとても、「血税は使わない」などといえたものではありません。
現在の地価は、あくまで現状の容積率等の制限内容を前提に形成されているのです。結局のところ、経済評論家らによるこの容積率緩和策は、都市政策や全国の地価情勢等への目配りを欠いた、あまりに安易な主張と断ずるより他ないのです。
4.諸先生方へのお願い
それにしてもこのような怪しげな話を、マスコミに頻繁に登場するような「経済評論家」達が、まことしやかに主張しています。これは、学者や経済評論家といった諸先生方が、いかに容積率を含む不動産を知らないかの証左です。不動産は、れっきとした経済財(しかも極めて重要)であるにもかかわらずです。
それ以前に、容積率の制限の状況を論じようというであれば、諸先生方は何故に、その制限の必要性を考えようとしないのでしょうか。
そもそも緩和・撤廃すべきといわれている「規制」は、各省庁の権益や縄張りがからんだり、その規制によって特定の役所や業界が不当な利益を得ている、といった存在であるはずです。
しかし容積率規制を所管する国土交通省や各自治体の担当部署は、この制限によって何かのメリットを受けているわけではありません。これ関連する天下りの組織もないはずです。ですから、容積率をいわゆる「規制緩和」の対象にしてはならないのです。
不動産に関して発言する以上は、諸先生方には、もう少し基礎的な不動産の勉強をした上でのものとしていただきたく思うものです。
(なお余談ながら、容積率規制の意義や重要性の点を含め、不動産の基礎に関して分かり易く解説した本として、拙著「初めての不動産実務入門」(近代セールス社)をお勧めいたします)。