裁判員制度施行後1周年を期とする、制度擁護・推進論の二回目です。前回は、極めて多くの人による次のような多様な反対論に関して論じました。つまり「裁判は法律のプロに任せるべきで自分には無理。忙しい中裁判所に呼び出されるのは迷惑」といった主張(Aの主張)です。
これに対して前回は、まず「こうした主張は分かるが、それは現状の裁判がうまくいっているという前提のもの。しかしそれが全く達成されていない」とする私の反論を述べました。その上で今日の刑事裁判の惨状を紹介したわけです。今回はその続きです。
さて、ほとんどの方は「有罪率99.9%」という数値はご存じなかったと思います(私も4~5年前にこれを知り、腰を抜かさんばかりに驚きました。なお被告人が否認している事案でさえ無罪率は3%以下です)。いったい「有罪率99.9%」はなぜ世の中の人に知られていないのでしょう。その最大の理由は、「大マスコミがその事実を隠しているから」であると考えます。
裁判員制度導入に関して、大マスコミはいろいろ報じてきました。しかしその最重要課題である「なぜ裁判員制度が必要か」に関しては、実質的に何も語りませんでした。「有罪率99.9%」(つまり裁判所の堕落ぶり)を明らかにしさえすれば、大半の国民は納得するはずであるにもかかわらずです(逆にそれが分からないからこそ、上記のようなAの主張が主流となるわけです)。
むろん「有罪率99.9%」を報じれば、皆が「裁判所は堕落・腐敗している」ことを知ります。権力への強い迎合体質を有する大マスコミには、これができないのでしょう。これほど多くの裁判員制度が報道されている中にあって、未だに「有罪率99.9%」は報じられていないのです。
ところで多くの方は、「弁護士でもないあなたは、なぜそんなに裁判員制度(さらには裁判全般)に入れ込むのか」というご疑問をお持ちかも分かりません。
私の本業は税理士(兼不動産事業者)です。その本業の絡みで、土地の税務評価についての不当性を、役所を相手に裁判で争ってきました(その数20件以上)。
そしてその過程で、「裁判所は行政訴訟で役所勝たせるための存在」であることを、イヤというほど知らされたのです。
さらにわたしは、「今日デタラメとも思われる行政が横行している最大の理由は、裁判所がそれにお墨付きを与えているから」、という点に気づきました。むろん裁判所が当たり前の判決を出せば、行政はガラッと変わるのです(一例を示せば、薬害が連綿と続く理由もこの点にあると考えます)。
そのうち刑事訴訟も全く同じ構図であることに気づきました。刑事訴訟は検察・警察を被告人とする行政訴訟そのものです。そして裁判所は役所(検察等)を守るべく「有罪率99.9%」を実行しているわけです。
裁判員裁判は、デタラメな刑事訴訟を突き崩すことになりましょう。そうなれば、やがて本丸の行政訴訟がその俎上に上るはずです。それによりあるべき行政を実現させたい(この国を変えたい)。私にはこうした遠大な計画があるわけです(詳細は、拙著「裁判所の大堕落」ご参照)。
さて今日、電車内で「この人痴漢です」と言われてしまえば大変なことになってしまいます。駅員はすぐ警察を呼びます。警察に連れて行かれればもうおしまい。とにかく「すみません私がやりました」というよりほかありません。そうすれば(何かの罪になるとしても)何とか出してもらえます。
くれぐれもその場で、「私はやっていない」などとがんばってはなりません。それをやると警察から何ヶ月も出してもらえず、解雇・倒産が必至となります。いうまでもなく「裁判官なら分かってくれるはず」は通用しません。「有罪率99.9%」なのです(下手をすると、「無罪の主張は反省していない証拠」などと言われ、実刑判決にもなりかねません。もう無茶苦茶です)。
われわれが満員電車に安心して乗ることひとつを考えても、裁判員制度の健全な発展が必須となります。それには一般常識から隔絶された世界にいる裁判官を、裁判員との会話等を通じて、一般社会に引き戻さなければなりません。
皆さんには、こうした点のご理解をお願いするしだいです。
つづく