8月26日発売の週間文春には、中井拉致問題担当相の「暴挙」に関する記事が載っていた。年初から準備をしていた拉致問題を訴える集会の後援を、1ヶ月前になってドタキャンしたのだ。主催者である「拉致された日本人を救う神奈川の会」らが、中井大臣に批判的な声明を出している、というのがその理由である。
その批判声明とは、金賢姫元工作員の来日に関して「一億円ともいわれる税を投入してまでの、パフォーマンスは無意味」というもの。となればこの来日を仕切った中井大臣はそんな声明はお気に召さない。
そこで「こんな声明を出す者が主催する集会の後援なんかできるか」とばかり、大臣による突然の強い指示により、後援がドタキャンされたというわけである。
拉致問題対策本部(トップは総理大臣)が内閣官房に設置されていることからも分かるとおり、拉致問題は国が解決するべき重要案件である。この集会は、国の対策本部の後援を得た上で神奈川県や横浜市・川崎市も共催となっており、かなり公式的なものといってよさそうだ(横田夫妻も講演予定)。
したがってドタキャンの通知を受けた県の担当者はビックリ。何より心強い政府の後ろ盾を失うことに関して、主催者は「もはや怒りを通り越して、悲しみしか感じません」と語っている。
さて文春の取材に対して、この対策本部からは次のような苦しげな回答があったという。「(先の)声明を読むと、政府の方針に抗議し猛省を促しています。他方、その政府に集会の後援を依頼するというのは、矛盾しているのではないでしょうか」。
どうもあれこれみてみると、中井大臣とは相当に次元の低い人であるらしい。「将軍様は中井大臣の方では?」とまで揶揄されている、とも記事には記されている。しかし私とすればこんな男はどうでもいい。問題は対策本部の先の「苦しげな回答」の中身である。
対策本部の回答の前提には次の二点がある。「政府の方針を批判した者は、政府に物事を要請してはならない」。あるいは「政府に物事を要請しようとする者は、政府を批判してはならない」である。
こうした発想は到底許されるものではない。その一方、この発言の経緯を考えれば、この対策本部(内閣官房)の役人は本音でこう考えているとしか思えない。残暑厳しき中にあって、これには精神的に寒々としてくる。
以上をこの件に関して具体的にみていこう。まず対策本部も「神奈川の会」も、ともに拉致問題の解決を真剣に目指している。そして対策本部(中井大臣)はそのひとつの手段として金元工作員を日本に招いた。
しかし問題解決の手段に関しては、いろいろ議論があるのは当然であろう。そこで「神奈川の会」には、「その招請はほとんど問題解決にはならずパフォーマンスにしか見えない」と批判した。これが何故いけないのか。
中井大臣は、「パフォーマンス」とする表現に怒ったのかもしれない。しかし確かにこれは「パフォーマンス」にみえてしまう。彼も痛いところを突かれたからこそ、本気でそこまで怒ったのであろう。
とはいえ「あえてそのような無礼千万に批判する者からの要請は断る」というのであれば、全く分からない話ではない。しかし対策本部はそうは言っていない。批判内容の表現ではなく、批判することそのものを否定しているのである。
我々国民は大枚の税金を国等に払っている。国等はその対価として我々に多方面からのサービスを提供している。我々は当然にそうしたサービスを受ける権利を有している。
しかし国の中枢である内閣官房の役人が、「国からのサービスを受けようとする者は、国を批判してはならない」と言わんばかりの発言をしたわけだ。
この恐るべき言論封殺の発想。この「国への一切の批判を許さない」という思想こそ、デタラメの戦争に突き進んだあの「大政翼賛会」そのものである。
こうした発想は、その片鱗といえども断じて許してはならないのである。