御前崎市の議会議事録を閲覧申請した人に対して、事務局が氏名等の記載を求め、その個人情報を慣行的に議長らに報告していたという。ちなみにこの市には浜岡原発が立地している。
こうした報告があれば、議長らは「この人は何か役所や市議会に不満でもあるのか」、さらには「彼は原発反対派に相違ない」などと思いかねない。自由な市民の行動を萎縮させるであろうこのような行為は許されないのである。
ところが事務局長は「閲覧者のマイナスになるとは思えない。これのどこに問題があるのかが分からない」と述べているという。
この発言は本音であろう。市役所というムラ・共同体にどっぷり浸かっている彼には、ムラに帰属していない人の気持ちが理解できないのである。
この国の特質なのか、トップ等が強い人事権を握る一般の組織(会社、役所等)は、必ずといっていいほどムラ・共同体を形成する。
ムラは、その組織の目的を達成するためのものではない。トップや限られた上層部が「いい思い」をするための存在である。そしてそれ以外の構成員にも、序列の順にそのおこぼれ・アメが与えられることによりムラが維持されていく。
大勢順応を好む国民性と御身の安全の観点からであろう、構成員のほとんどはすんなりムラに加入する。しかしムラに疑問を持つ少数の人は、これに加入しようとはしない。
こうした少数派の存在は、ムラの構成員からはかなり目障りになる。だから処遇等を手段として、この「異分子」を切り崩そうとする。
ところで役所の人事権とは無関係の一般市民は、ムラの構成員ではない。しかし組織が市役所という公的な存在だから、一般市民は関係者といえよう。
となると役所はその運営上、かなり緩いながらも市民にもムラに準ずる意識を持たせようとする。ムラの準構成員になってもらえば、行政等に文句を付けられる心配がないからだ。そこでのアメは行政の「融通を効かす可能性」である。
しかし市民には、準構成員にならない人も多い。そうした人の中には、市の行政を冷静にさらには批判的に考える人もいる。そうした「冷静・批判派」が議会の議事録等を閲覧するわけである。
こうしたしくみは、国の行政と国民の関係も同様である。
これら組織内の「異分子」や組織外の「冷静・批判派」は、極めて貴重な存在である。彼らがいなかったら、組織はどんどんおかしな方向へ行ってしまうからだ。
その典型が、異分子を全て追い出してしまった原子力ムラである。組織の内部に批判派がいないから、事故が起きても反省も改善もできない。ムラの住人も「さすがにこれではまずい」とは思っているのであろうが、身動きが取れないのだ。
軍人ムラが批判派を完全に押さえつけた昭和初期の時代も同様だ。本音では好戦的な陸軍でさえ開戦したくなかったのだが、やめるわけにはいかなかった。
それでもムラは批判派を排除する構造になっている。上層部が「過剰な排除は組織にマイナス」と思っても、この動きを止めることはできない。
だから、「異分子」はかなりの不利益を受けている。一般の「批判派」も多少のプレッシャーを感じている。
しかし彼らのがんばりがあるからこそ、なんとか組織や社会が現在の状況にとどまっている。これがなくなり総翼賛体制になれば、これらは一気に堕落してしまうはずだ。
今日、多くの組織は「揺らぎ」がないまま、長期にわたり安定的に推移している。この間に異分子等の排除は着々と進み、組織は徐々に悪化しつつある。
もはや不祥事が隠し切れなくなってきた警察ムラや検察ムラは、その典型といえよう。そして役所のほとんどはこのバターンにある。
以上のとおり、健全な「異分子」や「批判派」の存在は、組織や一般社会にとって極めて貴重な存在である。
したがってそうした理解のない「閲覧者のチェックのどこに問題があるのかが分からない」という先の発言には、深い怒りを覚える。そしてその感情が、このまとまりのない雑文を書かせたわけである。