この大震災に際して、被災地の自治体職員は本当にがんばっている。その努力には本当に頭が下がる。
私は今まで地方公務員に激辛の点数を付けていた。彼らはまず法をご都合主義的に解釈する。それにより責任からは逃げるは、面倒な作業はやらないは、下らないことに権威主義になるはでどうにもならない。要するに、住民ことなど考えていないのだ(例外はあろうが)。
それらは、私の専門分野である税務や固定資産税評価の分野で彼らと接触する際に、イヤというほど思い知らされてきている。接触機会の多い都庁職員に関していえば、勉強をしていない上に偉そうに屁理屈をこねる。どうにもならないのである。
ところが眠りこけていたかのような地方公務員が、大震災の発生により俄然働き出した。本来の住民本位の仕事を必死に展開しているのだ。
むろん彼らも勤勉な日本人のDNAを有している。ところが公務員になると、時の経過とともに完全に「朱に交わり赤く」なってしまっている。しかし未曾有の事態に際して、突然、本来の勤勉さや使命感を呼び覚ましたのであろう。
その一方、この期に及んでも中央省庁はまるでダメ。情けない限りとなっている。
たとえば総務省。とにかく被災地の自治体は、状況の把握から始まって、避難所の設営や管理、物資の仕分けや運搬その他で、猫の手も借りたい状況にある。
であれば総務省は、被災していない自治体の災害対策担当者を集めて、「何が必要で、何ができるか」を緊急に打ち合わせる。そしてその結果に基づき、求められているはずの自治体職員を大量かつ直ちに応援に出す(派遣組にもまたとない経験になる)。こんなことは常識だと思うが、総務省は何もやっていない。
災害発生の数日間は、緊急のタンクローリーも東北道を通さなかったという。警察署へ出向いての、緊急自動車としての許可を得ていなかったからだ。これを批判され、今度は許可手続きをインターチェンジでできるようにしたという。
悠長なことを。タンクローリーを見れば非常用だということは誰でも分かる。まるでマンガである。
聞くところによると、一部の高校では避難所への提供をいやがっているという。むろん文科省が直ちに対応方針を検討・通知しておけば、こんなことにはならない。
被災地に散乱している大量の廃材や車等は、最優先となる道路の復旧等のためには除去しなければならない。しかし車等も私有財産であり、勝手に処分するわけにはいかないという理屈になる。
そこで自治体等がこの点を中央省庁に質したところ、昨日なされた回答はどうにもならないものだ。曰く「車を廃車すれば自動車税の還付がなされること等もあり、私有財産として認識される。したがってこれらをどこかに一定期間保管し、所有者の意志を確認した上で処分等を行うべき」
何をバカなことを。そんな広大な保管場所がどこにあるのか。その場所までどうやって運ぶのか。被災地にはそんな余裕はない。これらは直ちにブルドーザー等でゴミとして処分してしまえばいいのだ。
これを指示した平和ボケの役人は、面倒をいやがるだけ。被災地のことなど頭にないのである。
思えば数日前の新聞には、国交省が「我々はなされた相談を受ける立場」とする発言が載っていた。自分からは動こうとしない。相談されてもまともな回答はしない。これでは被災地はたまらないだろう。
わが国では、ほとんどの権限と予算さらには情報を霞ヶ関が握っている。したがってこうした非常時こそ、彼らは指導力を発揮しなければならない。
しかし鼎の軽重が問われるこの時期に、彼らはのほほんとしたまま。彼らは自身の無能さ、さらには使命感の喪失ぶりを満天下に知らしめている。
彼らにそれなりの使命感があれば、最低でも次のようなことをやるだろう(政治の不出来ぶりはいい訳にならない)。
ここは各省庁の横断的な被災地支援のための場を直ちにつくる。まずは情報の共有(彼らは東北地方にも多くの出先機関を有している)。次に各役所が、所管分野を度外視して何をなすべきかにつき知恵を出し合う。その上ですべての省庁がフルに動くのである。
東京電力が醜態をさらしている計画停電を一例に考えよう。経産省らがその気になれば、災害発生による電力不足はその程度を含めては十分予想できるはずだ。であれば(他の省庁や東電を集め)事前に最良の停電の実施方法を検討しておけばいい。
すなわち鉄道はどの程度動かすべきなのか、産業その他の事情を考えれば、グループ別の細切れ停電がいいのかたに方法はないのか、医療機関等への例外措置の可否はどうなのか。これらを十分検討・決定し、これを世への周知期間を設けた上で果敢に実施するのである。
しかしこうした当たり前のことが彼らにはできない。被災地の自治体職員が、勤勉な日本人のDNAを呼び覚まし、あのようにがんばっているにもかかわらずである。
結局のところ、中央省庁の幹部役人としての長年の驕りが、本来呼び覚まされるはずのDNAをも忘れさせてしまったと考えるより他ないのである。