大津市の件を含め、いじめ自殺問題は泥沼状況にある。東京地裁からは「学校側に一切の責任はない」などという、とんでもない判決も出ている。
 先日のNHKの「時論公論」でも、「(いじめ問題は)学校や教育委員会、文科省にも期待できない」などとさじを投げていた。

 この苦境・混迷の理由は、ズバリ「教育ムラ」の存在に求められる。これは文科省以下教育委員会・学校といった、教育界での出世を目指す連中が強固に作り上げた組織である。

 この国の特質なのか、組織と名が付けばその大半にムラを発生させる。ここでいうムラとは、ムラの構成員のみが「いい思い」をするための排他的な共同体、といった存在である。

 ムラは独占的な組織が作るものほど強力となる。その分、他に与える害悪も大きい。その典型は原子力ムラや役所関係のムラである。余談ながらその最強最大のものは「警察ムラ」であろう
 しかしむろん、独占組織がその使命に反するこうしたムラを作ることは許されるものではない。

 戦時教育等の反省からなのか、教育には政治が介入してはいけないとされてきた。
 その結果、市長や議会すら口を挟むことのできない独占分野として、徐々に強固な「教育ムラ」が構築されてきたわけだ。

 教育ムラのトップは文科省である。その幹部は単にペーパー試験に強かっただけ。教育の何たるかをご存知ない。ましてや教育現場などは知る由もない。
 彼らの関心事は、エリートとしていかに「優越した心地よい人生」を送るかにある。教育はその手段に過ぎない。具体的には、全国の教育関係者のトップに君臨し、教育行政により彼らを管理し従属させる。

 各教育委員会は、人事権を握る文科省にひたすら迎合する。ムラの構成員が最も嫌うのは、責任を取らされ地位を追われることである。
 だから問題が起これば、文科省の顔色を伺いつつ、とことんこれを隠蔽し事なかれ主義に徹する。直接生徒に接する学校側の発想や行動もこれとほとんど同じ。教育や生徒がどうなるかなどは二の次なのだ。

 教育ムラには出世しようとする者が加入する。入らなければ出世はできない。
 その一方、出世に興味のない教師やムラに嫌気のさした人は入らない。それでもムラの圧力が強いのか、はたまた無気力なのか、まともな行動をとる人はほとんど見られない。

 この絶望的な状況をどう打開すればいいのか。まずは本来の姿を考えてみよう。
教師はいじめをやらせないし許さない。学校・校長らはがんばる教師を助け、放置する教師を厳しく指導する。教育委委員会は、校長や教師の対応ぶりを人事等できっちり処遇する。そして文科省はこの当然のことを彼らにやらせるのである。

 組織の構成員の大半は出世を望む。だから「いじめ撲滅が出世の早道」と分かれば、即これをやる。逆に大降格が予想されれば、いじめ自殺の隠蔽などするはずがない。 
 組織の要諦は人事である。つまり最終の人事権を握る教育ムラのトップ文科省に、こうした人事をやらせればいいのである。

 マスコミを中心に現在での批判の対象は、隠蔽組の学校や教育委員会に向けられている。これではいけない。彼らは、文科省の「隠蔽せよ」との密かなサインに従っているだけ。あくまでターゲットは文科省でなければならない。

 文科省には特殊な力があるわけではない。したがって全国の親御さんの怒りをしっかり文科省に向けることさえできれば、この可能性はかなり高い。
 そうした世論が巻き起これば、選挙を意識した政治家がこの流れに乗る。政治家が強い圧力をかければ、文科省はやるより他なくなろう。

 今日、全国の教育現場でいじめが蔓延している。極めて多くの子供が自殺の可能性を含め思い悩んでいるのだ。こうした事態改善の特効薬は、真っ当な世論の換気による「文科省を叩き直すこと」にあると確信するものである。