原発事故により、東電管内では真夏の1~3時という需要のピーク時には、ほぼ2割の電力が不足するという。このままでは停電から逃れることはできない。
しかし社会が、この時間での停電に耐えられるだろうか。窓の開かないオフィスやマンションを考えただけで絶望感が湧く。ましてや、病院その他の特殊な施設もある。

輪番等で「工場を止める」という案もある。しかしそれはただでさえ不振の日本経済を大きく傷めてしまう。また電気料金の調整やサマータイムの導入等、いろいろのプランもある。しかしこれらは全くの力不足というより他ない。

真夏の停電は、この3月のものとは影響度がまるで違う。この時期の停電は、何としても避けなければならない。
そしてそれは十分可能である。すなわち、電力不足の最大の原因となる冷房についての発想を変えるのである。

今日の冷房は、暑い外気から逃れ「涼しく快適に過ごすためのもの」という理解がなされている。これではいけない。そこでその認識を、「暑くてやりきれない状況を、何とか過ごせる状況にするもの」に変えるのである。
そもそも夏が暑いのは当たり前。これを「涼しく快適に」などは、贅沢以外の何ものでもない。多少暑いのは、薄着をする等により我慢すればいいのである。

ましてご承知のように「暑い寒い」の感じ方は、人によって大きく違う。そして今までの冷房は、暑がりの人でさえ「涼しく快適に」感じるような、かなり低い温度に設定されていた。
したがって今までは、寒がりの人はもちろん一般の人までが、オフィスやデーパート等で「寒い」という。まるで我慢会。そして少なからぬ人が、「冷房病」といったお話にならない状況に陥っていたのである。

今日Co2排出等により地球を傷め、また世界を原発の大リスクにさらしながらの、このような自分勝手な「贅沢」が許されるのか。この発想の転換は、今夏の電力不足以前の、地球環境の面から考えて当然の話と言わざるをえない。

今夏は、許されざる贅沢に慣れきった頭を「冷やす」絶好の機会となる。すなわち「冷房とは、一般の人が暑い夏を何とか過ごせるようにするためのもの」という認識に改める。そしてこれを社会通念とするのである。
その一方、従来の「涼しく快適に」は、「道徳的に許されない行為」(例えていえば、車窓からのゴミ捨て)といった社会認識とすべきであろう。

この方針でいけば、不運ともいうべき一部の暑がりの人は、かなりの苦戦を強いられよう。しかしわずか2ヶ月程度の期間である。花粉症になってしまった不運な人が、数ヶ月間苦しんでいる例をお考え願いたい。

今「冷房温度を1度下げれば…」などといった宣伝がなされている。無駄とはいわないが、これは「お願い」ベースであり実現は期待できない。そうではなく、これを義務の範疇に持ち込もうというわけである。
清廉潔白、さらには「お互い様」といった誇るべき国民性を有するこの国の人々は、こうした状況をしっかり理解してくれるものと確信する。

とはいえ、これを道徳だ義務だとなどと言われてしまえば、反感も生じてこよう。そこでこうした認識をうまく軟着陸してもらえるような工夫が必要となろう。たとえば高めの温度設定が「かっこいい」、といった発想である。
今日、「AC」なる機関がいろいろCMを流している。それら等での工夫により、これが実現するといいと思う。

夏場の電力需要を大雑把にいえば、家庭や店舗・事務所用が6割、工場や交通といった動力向けが4割という。したがって前者の冷房に関して、先の発想の転換がなされれば、さして動力面に悪影響を与えないまま、停電なしで今夏を乗り切れるはずだ。

確かに、こうした発想の転換は、その当初はつらいものがあろう。しかし大震災(ましてや原発)の被災地のご苦労を想って、さらには「夏場の停電だけは許さない」という強い決意でこれに挑んでいくべきものと思う。
災い転じて福。これが実現できれば、今後はさして原発のお世話にならないで済む世の中も実現するのではあるまいか。