休日に共産党機関紙「赤旗」を配ったという、政治的行為の制限を定めた国家公務員法違反事件に、最高裁は昨日、これをほぼ取り消す判決を出した。
判決はその禁止の対象を、「政治的な中立性を損なう恐れが実質的に認められるものに限る」との初判断を示している。
従来はこの件のように、一般公務員が休日に行うビラ配りでさえ禁止の対象となるというように、制限の対象となる政治活動があまりに広すぎた。
この判決については、東京新聞が極めて妥当な社説を掲げている。我が意を得たりともいうべきこの社説を、以下にそのまま引用させていただく。
“「憲法9条は日本国民の宝」。そんな内容の新聞を配布しただけで、男性は逮捕された。共産党の機関紙「赤旗」で、男性が旧社会保険庁の職員だったからだ。公務員の政治的中立を求めた国家公務員用違反に問われた。
逮捕は04年だ。最高裁で「無罪」となるまで、実に8年間も要した。あきれるほど長い。
捜査自体も異様だったといえる。男性は29日間も尾行された。多い時は11人もの捜査員を繰り出し、4台の捜査車両を使い、6台のビデオカメラを回した。そんな人員と税金を投入するほど、重大な事件なのだろうか。
当時は、自衛隊のイラク派遣に「反対」と書いた市民団体や、政党ビラを配った僧侶らも相次いで摘発された。いずれも政府批判の言論ばかり、狙い撃ちされた印象だった。
国連の自由権規約委員会は08年に「懸念」を表明し、日本政府に表現の自由への不合理な制限を撤廃すべきだと勧告した。
欧米などの先進諸国は、勤務時間外や勤務場所以外の政治活動は自由である。公務と私生活を区別せず、全面的に政治活動を禁止し、反すると刑事罰を与えているのは、日本だけといわれる。
今回の無罪判決は、国家公務員の「政治活動の制限」に風穴を開けた意味を持つ。
(中略)そもそも公務員を完全に政治的中立とすること自体が「虚構」の上に成り立っていないか。法改正も検討するべきだ。
言論ビラの配布は、表現の自由の一手段だ。政府への批判は、民主主義の「栄養分」である。国の行方が見えぬ時代こそ、モノを言う自由を大事にしたい”。
繰り返すが、以上の社説の内容には全面的な賛意を示す。そして一部(つまり管理職的な地位にある場合には制限の対象となる)には疑問が残るものの、この最高裁判決は、常識に基づく妥当なものといっていいだろう。悪くない流れである。
ところがかなりの保守的な勢力からは、国家公務員の政治活動は全面的に禁止すべきという主張が根強い。なんと読売新聞もこの判決を批判する社説を掲げている。
確かに官公労の無茶なストや日教組等の不毛な対決姿勢等は問題といえよう。しかしそれは個別の問題として、是々非々で対応すればいい話ではあるまいか。
何より、この件のように休日にビラまきしただけで逮捕されてしまうなど、「一体どこの国の話なのか」と思ってしまう。
欧米諸国からも異様にみえるこうした一律制限は、許されるものではないのである。