本年(平成22年)11月から、司法修習生への生活費等の給費制が廃止され、代わりに貸与制になるそうです。
弁護士になるには、司法試験合格後1年間の司法修習を受けなければなりません。従来はその間の生活費として月額20万円が国から無償で支給されていました(給付制)。しかし財政難等により、これを返済義務のある貸与制に変えるわけです。

私とすればこれは当然の措置と思います。しかし既得権を失う結果となる弁護士業界は、(当然ながら)これに猛反発しています。
その論旨は、「入学を義務づけられている法科大学院の学費が高い上に、これが貸与制になったら金持ちしか弁護士になれない。市民の権利の守り手であり、高い公共性を有する弁護士業務の担い手が、そのようなことになっていいのか」といったところのようです。

さらに署名を求めるべく私の所に送られてきた日弁連作成の請願書には、ほぼこのように記された部分があります。「公共性等の面で医師と法律家は共通点が多いが、医師の側には研修医の期間は、研修に専念できるように相応の予算措置が執られている。(だから我々にも…)」
そして弁護士らの主張の中には、「弁護士開業時には、下手をすると約1,000万円もの借金を抱えることになる。皆さんはそんな返済に頭がいっぱいの弁護士には依頼する気はなれないはず」といったものまであります。

しかしこれらの主張のほとんどすべては、上記の標題のとおり「弁護士業界の驕りと甘え」であろうと考えます。
まずは弁護士が公共性の高い仕事を担っているといいますが、その程度の公共性であれば、他の士業を含め世の中の大半の仕事が担っています。そもそも仕事の公共性において、例えば街のラーメン屋さんと弁護士との間で優劣をつけることができるのでしょうか。

「市民の権利の守り手」と言うのは耳障りのいい言葉です。しかしその実態は、「弁護士に依頼した市民の権利の守り手」に思えてなりません。そして依頼した市民や団体の相手側の市民等の権利が、弁護士側のしたたかな主張につらい思いをしているという面が強いのです。
ちなみに私は相続税業務を専門とする税理士です。私は遺産分割や遺留分減殺請求等で、こうした場面を何度となく見聞しています。

私は仕事(税務・不動産)の関係上、土地評価その他に関して多くの行政訴訟を行っています。むろんその多くが敗訴となります。私は連綿とつづく悲惨な薬害発生に代表されるような嘆かわしい行政の存在を許しているのは、役所を守るための存在と化したというべき裁判所であると考えています。
しかし弁護士業界・弁護士は、(極端な一部の例外を除いて)行政訴訟に立ち向かおうとはしません。先般私は、中間省略登記の禁止措置の不服として最高裁まで争いましたが、弁護士業界は全くの無関心です。弁護士の使命は「社会正義の実現」ではなかったのでしょうか。

さて、先に医師との比較の話がありました。しかし新米医師の技量の進歩は、悪というべき病気を倒すことにあるといっていいと思います。つまり医師の実力アップはいわば絶対的な「善」といえましょう。
しかし弁護士の技量のアップのメリットは、その依頼者のみが受けることとなります。そのような相対的な「善」に過ぎないものに税金をつぎ込む意味があるとも思えません。結局「医師との共通性」とは、そのどちらも高額所得者の常連というだけのものなのではないでしょうか。

確かに中には、採算を度外視したかたちで刑事被告人や郊外等の被害者のために献身的に努力されている弁護士さんが存在するのも事実です。しかしそれはあくまでかなりの例外に過ぎません。
大半の弁護士さんは、高額な弁護士報酬を払える人や団体の味方であることは明らかです(むろんこの点を批判するつもりはありませんが)。

「借金だらけの弁護士に依頼する気にはなれないでしょう」というのは、市民への脅迫のように聞こえてきます。借金があろうがなかろうが、弁護士は適正な業務を行うべきことは当然のはずです。
にもかかわらずネットには、少なからずこうした主張がなされています。どうも弁護士さんには勘違いが多いように思えてなりません。

こうした弁護士業界の主張の背景には、「我々は難関試験の合格者」という強烈な意識が作用していると思います。確かに難関試験の合格者であることは事実です。私など司法試験に受かるとはとても思えません。

しかし難関であるかどうかは、公共性であるとか国費を投入すべきかどうか等にはあまり関係ないはずです。また「受験者が金持ちの子に限られる」というのは、この世においては大なり小なりあることです。いやむしろ最大で1,000万円程度であれば、まじめに働けば返済は十分可能でしょう。
ついでにいえば税理士試験でも、合格にはかなり早くても3~5年かかります。当然ある程度の軍資金がなければやれるものではありません。むしろ貸与(しかも無利息)が保証されているのがうらやましいくらいです。まあ「税理士試験などと一緒にするな」とおっしゃりたいのでしょうが…。

なお以上の論旨の背景には、裁判所を徹底的に批判した、拙著「裁判所の大堕落」(コスモの本)があります。またこの本にはその付録として、中間省略登記裁判のかなり詳しい内容を掲載しています。その論旨は次のようなものです。

中間省略登記に関しては、その禁止規定は民法・登記法を含めどこにもなく、大審院・最高裁判決もこれを認め、最高裁調査官も問題なしとし、実務上の混乱も全くないにもかかわらず、皆が何の問題もないと思っていた中間省略登記が、法務省の思いつきで突然にできなくなりました。
当方の主張を一言でいうと「禁止の根拠規定を示してほしい」です。被告法務省はこうした批判に全く反論できないまま結審。そして一審判決も二審判決もしどろもどろの判決理由で敗訴。さらに最高裁の三行半で敗訴確定です。
結局のところ、この裁判に関する限りこの国の司法は完全に崩壊したと考えるより他ありません。