東京地検特捜部は最近、取り調べの全面可視化を試行した。ある件に関して、約20日間の計50時間の様子がDVD約30枚に収められたという。
これは、この4月に江田五月法相から、特捜部での取調べ(一部)につき全面可視化すべき旨の指示を受けてのもの。検事総長もこの受入れを表明している。

そもそも従来の検察の取調べは、検察官がイメージした犯罪に沿うような供述をとること任務としていた。検察が供述書を勝手に書いた上で、そこに署名させてしまうわけである。
署名を拒否した場合は、虚偽・脅迫その他あらゆる手法で強引に迫る。たとえば、「親戚一同を参考人に引っ張るぞ。大切な取引先に捜索に入るぞ」。これらを何日も際限なく続けられれば、精神的にまいってしまう。結局は署名するしかなくなる。

こうした常套手段が通用しなくなる全面可視化には、現場の反発が強い。「全面可視化は、大衆の面前で話すようなもの。これでは容疑者は意識的に否認してくるだろう」といった調子だ。

これらは難癖の類だ。全面可視化によっても、とりわけ強い守秘義務を有する裁判関係者が、肝心の部分のみを確認するだけのこと。これのどこが「大衆の面前で話す」ことになるのか

試行によるDVDを見た検察幹部は、「誘導・脅迫の指摘を恐れた担当検事が萎縮してしまい、容疑者への追及が不十分」という。そして「これでは否認事件では自白を引き出すのが難しい」ともいう。さらには「だからといって、事件をつぶすわけにはいかない」とまで言う。

「萎縮してうまくいかない?」。何をバカなことを。おぼこ娘のお見合いでもあるまいに。こんなものは慣れや工夫で何とでもなる。そもそも話し始めて数分もすれば、録画のことなど忘れて話に集中するはずだ。
話の流れによっては、多少乱暴な取り調べになっても問題はなかろう。要するに、卑怯極まる脅しや時間・期間無制限の拘束といった、実質的な脅迫をなくすことが大切なのだ。

「否認事件では自白を引き出すのが難しい?」。否認している以上は、それは当たり前だろう。工夫の上で根気よくやるだけのことだ。
従来はこれを許されざる脅迫により「自白」を強要していた。そうすれば面倒くさい地道な捜査はしないで済む。その手抜き捜査の故に、多くの冤罪を発生させたのだ。

否認されても「事件をつぶすわけにはいかない。こいつが真犯人だ」と思うのであれば、綿密な捜査により確実な証拠を集めればいい。証拠もないのに、勝手な思い込みと威迫による「自白」によって犯人に仕立て上げられたのではたまったものではない。ついでにいえば、こうした事情は警察も全く同じである。

また読売新聞は、次のような容疑者側の発言を載せて検察等によいしょする。「巧妙な知能犯が否認すれば、十分な追及はできないだろう。可視化は検察の足かせになると思う」。
であれば検察は、知能犯に負けないように取調べを工夫すればよい。それで追及しきれなければ、検察に力がなかっただけの話。その上で証拠も見つけられないのであれば、この人は当然に釈放されなければならない。

にもかかわらず、検察も警察もとことん全面可視化をイヤがっている。それはOBを含む検察・警察関係者で、このあたりまえともいうべき全面可視化を肯定する人は1人としていないことからも明らかだ。肯定すれば村八分にあうのであろう。これなどは、違法な捜査方法がいかに彼らにベッタリ染みついているかを如実に示している。

ちなみに海外では、その大半の国で全面可視化が行われている。わが国はこうした「人権」の面では恐ろしいほどの後進国なのである。
ここは何としても、満員電車で突然「この人痴漢です」と言われても大丈夫な国にしなければならないと思う次第である。