最初にお断りしておきたい。本稿の前段を中心に、その多くは3月21日付の東京新聞の「インドに学べ。原発メーカーも賠償責任」の記事に基づくものである。
わが国の原子力損害賠償責任法(原倍法)は、電力事業者しか賠償責任が義務づけられていない。理由は、「日本に原発が導入された当初は、海外から原子炉を輸入するためメーカーの免責規定が必要だったから」(福田健治弁護士)であるようだ。
したがって今般の原発事故の賠償責任は、政府の支援を受けつつ東京電力が一手に負う。そして東電が払いきれいない賠償金は、政府すなわち税金で負担することになる。原発メーカーに負担を求めることはできないのである。
しかし「今となっては、メーカーへの免責規定の合理性はなく、存在意義は失っている」と同弁護士は主張し、さらに次のように続ける。
「メーカーが原発を造り続けることができたのは、賠償責任がなかったから。この大きなリスクを考えるようになれば、原発を新増設しようという流れにくさびを打てる。メーカーが安全性を真剣に問い直すきっかけにするためにも、(免責規定の)法改正をする必要がある」。全く同感である。
ところで既に20基の原発が稼働しているインドでは、原発メーカーに過失があれば、その賠償責任を追及できる旨の原倍法を平成22年に定めたという。
実はインドでは、平成6年に国内の米ユニオンカーバイド社の化学工場から毒ガスが漏れ、数十万人の負傷者(死者も多数)を出す大惨事が発生している。この時にインド政府が同社に損害賠償請求をしたが、わずかなものに止まった。この苦い経験が原倍法改正のきっかけとなっているとのことだ。
この法改正に尽力したインドの弁護士が、グリーンピースの招きによりこの2月に来日。集会で次のように訴えている。「日本の原倍法は人権への配慮が欠けている。メーカーへの賠償請求は本質的かつ必須の要件。未来の世代を守れる法律になるよう力を注いでほしい」。
なおネット情報によれば、グリーンピースは、原子力災害でメーカーの責任を問える法制度があるのはインド、ロシア、韓国の3カ国に限られると指摘。その3カ国を含めた各国が設けた賠償額の上限は、実際の被害額を大きく下回るとして「賠償額の上限をなくし、原子力産業全体にも責任を負わせる制度の実現が必須だ」と主張している。
思うに、そもそもわが国はEC諸国等に準じて、平成6年に製造物責任法(PL法)を制定させている。これは製造者の過失の有無にかかわらず、その製造物に欠陥がありさえすれば、製造者がそれにより生じた損害の賠償責任を負うことを定めたものである。
したがって今後とも原発を推進しようというのであれば、トヨタの車等と同様に、原発メーカーに製造物責任法を適用すべきではないのか。となれば原発メーカーは安全性を必死に追求するはずだ。
一方メーカーが、絶対的な安全性に自信が持てないというのであれば、原発製造から撤退することになろう。日立や東芝といった巨大企業であっても、ひとたび大事故を起こせば実質的に倒産してしまうからである。
今日、大事故が起こってもメーカーは責任をとらない。そして霜害賠償は、電力会社の資力と税金のみの対応となる。しかし実際には到底賠償に応じきれないため、数十万人単位という膨大な人が事実上の泣き寝入りを余儀なくされる。
結局のところ、このような歪んだ責任・事故処理体制を前提にしない限り、原発事業は成立しない。
つまりこの点も、核廃棄物処理問題等と同様に、原発事業が経済・社会的に成立し得ない存在であることを明示している
さらにいえば、これらは欧米を含め全世界に共通する問題である。結局「原発ゼロ」は、わが国のみならず世界規模で達成されなければならない課題なのである。