読売新聞の10日の夕刊によると、調布市は、今年度の職員採用試験で88人を合格としながら55人しか採用していないという。そして今後、年度内に職員の欠員が出ない限り採用はしないのだそうだ。
であればこの分でいくと、自ら辞退した11人以外の残る22人のほとんどが、最終的に不採用となってしまう(翌年には再受験を要する)。

市が多めの合格者を出したのは、他の自治体を併願した人等から辞退者が出るため。たまたま前年が突出した辞退率だったことから、今回かなり多めの合格者を出したという。なお前年は採用試験の追加実施により、予定人員を確保している。
市の人事課は「辞退者が想定より少なかった。見込み違いでご迷惑を掛けた」と謝罪している。

ある未採用の合格者は、「予備校の先生も”通常は合格すれば採用される”と聞かされており、合格後は他の自治体を受けなかった」という。それが当たり前の話だ。(夕張のようにでもなればともかく)よもや自治体が悪名高い「内定切り」のようなことをやるとは思わないだろう。東京都も「都の場合、合格すれば基本的に採用している」と話しているという。

そもそもここ10年間の辞退率は、10%前後と安定していたという(ゼロの年も)。ましてや世の就職氷河期をみれば、辞退者は減りこそすれ増えることはなかろうと考えるのが常識だ。
にもかかわらず市は、37.5%(33÷88)もの辞退率と想定した過剰な合格者を出した。要するに市の考えは、「法的には合格=採用ではないのだから、もし合格者が余ったら採用しなければいいだけのこと」であったとしか思えない。

そうしたお気楽な考えを反映したのであろう。調布市の採用責任者というべき総務部長の次の話がふるっている(新聞記事全文を引用)。
「合格者と採用人数に大きな開きが出たことは残念。88人が多すぎたかどうかは検証が必要だが、辞退者数の割合などは毎年流動的で読みにくい。昨年度より辞退者が減ったのは、就職難で学生の公務員人気が高まっているからでは」。

まるで外部の評論家。こんな話を聞かされると怒りで手が震えてくる。とにかく「私には責任はありませんよ」の一言。調布市民は市長に対して、この男を懲戒免職すべきことを要請するべきではないのか(この部分はややエキサイトして書いています)。
そもそもこの男の給料であれば3~4人の新人が採用できるだろう。この際、総務・人事はその責任において退職者を募り、採用待ちの人を全員雇用すべきではあるまいか。退職者が集めることができなければ、その分市職員の給料を引き下げればいい。そしてそうした交渉のすべてを、この大不祥事の責任者である総務部がまとめ上げるのである。

いずれにしても、「内定切り」などやっていいはずがない。このような就職氷河期にこんなことをやられてしまえば、多くの人が人生を狂わされてしまう。

そうであれば採用事務は、「不採用者を出さない」ことを第一義に考えなければならない。つまり合格通知は、辞退者がゼロであっても全員を採用する覚悟・人数で出すべきである(場合により補欠合格といった工夫も)。
それで採用予定者にかなり不足するのであれば、前年も行ったように追加募集をすればいい。つまり「そんな追加募集なんて面倒くさい。多めに合格者を出しておけばいいじゃないか」という気持ちが、この不採用問題を引き起こしたのである。

結局のところ、今回の大失態の原因は、役人の弛緩しきった気持ちがすべてといえよう。仕事に緊張感がないのだ。
すなわち現下の雇用情勢への目配り。過去の辞退率の分析。万一過剰合格者を出した場合の対応。不採用を行ったときの相手に与える影響。その場合の市や担当者の責任の大きさ…。これら一切を全く考えていないのである。
そうである以上、市はとりあえず関係者の大処分を断行しなければならない。「たるんでいると処分を食らうかもしれない」。こうした緊張感が現在の職員に圧倒的に欠けているからである。

つい先日、「高齢者所在不明問題」に関する本欄の末尾に、次のように記した。今回も状況が全く同じなのでそれを引用したい。
“こんな眠りこけているような公務員は、その根性をたたき直さなければなりません。そういえばどこかの政党が言っていましたね。「増税の前にやることがある」って”。

結局のところ、これらがこの「内定切り」問題の本質であるように思ったわけである。