前回は、京都大学の入試不正に関して、遵守すべき通信の秘密を、通信事業者がこともなげに警察に公開している点を強く批判した。
今回は、この事件における大学側の対応を考えていきたい。
この事件は、大学側の不正防止策の隙を突いて、受験生がカンニングを成功させ、その事実が後から分かったという話である。そしてただそれだけのことである。
むろんカンニングは明らかに不正である。その一方大学側も、これを防止できなかったという失態を演じている。
大学側は、「ネット利用など予想外のことに対応とてもできない」と言いたいのであろう。しかし韓国等では既にネット利用の不正はかなり行われているという。であればこうした不正は十分予想されるのだ。
大学の試験場での生ぬるい監視は、カンニングを誘発する効果がある。例えていえば、空腹の人の前におにぎりを置いたまま一人きりにすれば、その人はおにぎりを食べてしまうかもしれない。
あえて一人きりさせた上で、食べてしまった行為を窃盗であるとして責め立てる。大学のやっていることは、こうした理不尽な行為にみえてこよう。
不正を知った京都大学は、「大学入試の根幹を揺るがす許されざる行為」などとして、終始被害者面をする。その態度も大きい。
冗談ではない。「大学入試の根幹を揺るがす許されざる行為」とは、こうした自身の無為無策ぶり、さらにはその後の厚顔無恥ぶりのことであろう。
しかし彼らは、「入試業務の公正が妨害された」として警察に被害届まで出す。要するに、「通信事業者からの聴取により、実行者を割り出してほしい」というわけだ。
なんと、本来「通信の秘密は断固守られるべき」と主張するべきはずの大学が、率先して通信の秘密を犯してほしいと、警察に頼み込んだのである。
昔の大学は、学生によるデモやバリケード封鎖などがあっても、「大学の自治」などと称して、警察を学内に入れることを頑なに拒んでいたものだ。となればその分の責任が生じる。大学人は悩みつつ自分で行動していたのである。
ところが今回は、通信の秘密を放っぽり出しまでして、自身の失態の後始末を警察に頼み込む。このレベルの低下は目を覆うばかりである。
その一方警察とすれば、世の中にエエ格好ができるは、大学には大きな貸しを作るはで、笑いが止まるまい。何より、捜査令状さえないまま、通信事業者から情報聴取するという実績を重ねることができた。これが最大のメリットであろう。
では大学はどうすればよかったのか。この点を述べてみよう。
まずは、自身の失態を率直に詫びる。次に学内を動員して、実行者の特定に努める。これができなかった場合には、その点を世に報告する。
となれば合格者を若干名増やす。むろん不正入学者のために不合格にされたとする不満を生じさせないためである。その上で、混入した不正入学者は、大学が責任を持って教育するという覚悟を示すのである。
それでも、「何故警察に通知しないのか」という批判も出てこよう。その時こそ大学は、「通信の秘密」の重要性を訴え、これを犯すことになりかねない警察への依頼はできない旨、世に訴えるのである。
こうした良識の府としての大人の対応であれば、世の中も十分納得し支持も集まるのではあるまいか。
にもかかわらず、彼らは当初から許されざる居直りを決め込んでいる。そこには学長らが自身の責任を追及されたくないという、役人根性のようなものがミエミエとなっている。
彼らの「監督が不十分だったケースはなかった」とする発言など、その最たるものだ。もし監督が十分であれば、不正などできるはずがないではないか。
もうかなり長い間、世に活躍の場が与えられている法律関係の学者のほとんどは、役所の出入り業者のような御用学者で占められている。だから近年の司法の堕落等に関して、まともかつ建設的な主張はとんと出てこない。
しかし大学人の性根が、ここまで低次元であるとは知らなかった。まあ世間知らずの学者ごときに、過度な期待をする方がいけないのかも知れないが…。
さてこの件に関しては、まだ思いがある。そこで時間を見つけて、もう一回書いてみたい。内容はマスコミ批判と、袋叩きに遭っている不正の実行者やその家族への応援等である。