前回の論旨は、「大増税を担うには「平等」が絶対条件。公務員改革でひねり出せる額の多寡は問題ではない」だった。今回はこの公務員改革の中身を考えていきたい。
まず公務員改革の中身を考えたい。巷間いわれるものは、人数の削減と給与の引き下げだが、改革の本命は「役所文化の民間化」にあると思う。そこでまずはこの点を論じる。
たとえば国土交通省は、その大半が実質的に赤字となる飛行場を、膨大な税金等を投入して全国に100近くも造った。彼らはとにかく予算をぶん取り、それを消化することが仕事だと思っている。本来の公益・必要性など考えもしない。
これは公益目的に名を借りた、組織のエゴそのものである。全国の高速道路も港湾整備もまったく同じである。
むろんこれは他の省庁とて同じ。その結果として、次のようなデタラメ行政を延々と続けてきた。たとえば教育をダメにした文科省。年金を破壊し悲惨な薬害事件を連綿と続けさせた厚労省。そもそも財政を破綻させた財務省。農業を立ち行かなくさせた農水省。対米追随のみで思考を停止した外務省。裏金の蔓延等で身動きが取れなくなりつつある警察。もう枚挙に暇がない。むろん彼らはこれらのために、税を湯水のごとく使っている。
むろん中央省庁の下請け機関の顔をも持つ各自治体も、大同小異である。
ここで「役所文化の民間化」の具体策を述べる。まずは各省庁の大臣が完全に人事権を握る。そして局長以上の者には、一部の例外を除き民間人(大手企業の役員クラス)を任命する。自治体もこれに準ずる。
こうした民間出身者が人事の詳細を把握する。そして事業を縮小し予算を縮減させた者、不要な規制を外した者らを出世させる。逆に真に公益に資する事業や規制をスタートさせた者は、大出世とする。
そしてこれらと逆なことをした者や怠けた者は、どしどし降格させる。真の公益に向けてのこうした信賞必罰人事こそが、組織を活性化させるのである。
次に公務員の削減と給料の減額について。参考にすべきは前回述べた夕張市のイメージである。
まず地方公務員が民間並みに働くのであれば、一般職の人数は3分の1(本音は半分)は不要なのではあるまいか。国の出先機関でいえばこの数値は3分の2となろう(そもそもこれらは廃止すべき存在)。国にあっては1~3割といったところか。
給料に関しては、とにかく民間準拠の徹底である。ただしこれは年金等を含めた生涯賃金ベースである。また準拠の対象は、その役所のある地域の給与等の水準である。
すると給料だけでいえば、大都市圏ではほぼ現状の国家公務員水準の維持。また自治体では、前回の阿久根市にみるように、現在の2分の1や3分の1に減らすことのできるところがわんさと出てこよう。
むろん年金その他の官民格差は一切撤廃。彼ら独特の身分の保証等の解除も要しよう。むろん公務員法等は大改正である。
それでも役所に倒産のリスクがない点を考慮すると、実質的な彼らの待遇はまだかなり高いといえよう。
要するに、仕事の方向や密度さらには職員の待遇等、これら一切を民間準拠とする。これこそが「役所文化の民間化」である(むろん現行の天下りなど論外)。
そしてこれを1~2年で一気呵成にやってしまう(給料等では、数年の激変緩和期間を要するであろうが)。これは連動する大増税を含め、明治維新や戦後維新に匹敵する平成維新というべきものとなろう。
ここまでやれば、国民は消費税その他の大増税も受け容れよう。イメージは夕張市。これらによって皆が平等に増税等の高負担に立ち向かうわけである。
ついでにいえば、この当たり前ともいうべき「役所文化の民間化」の結果によって、予算額は大きく減少(大雑把にいって人件費で10兆円以上、一般支出でも5~10兆円)することとなろう。
その一方、菅政権はまったくの不人気にある。しかしこうした政策を不退転の決意で訴え、かつ実行に踏み切れば、ほとんどの国民はこれを支持しよう。あっという間の強力政権への転換である。したがってこれらは、その気になりさえすれば実現は十分可能なのである。
ところでこのように書いてくると、必ずといっていいほど役人の側から次のような反論が出てくる。まずは、「それでは優秀な人材が役所に来ない」である。
しかしここでいう「優秀」とは、単にペーパー試験の成績だけの話である。そもそも本来の実力など、こんな試験で測れるはずがない。そして彼らが無能だからこそ、前述のとおりのデタラメ行政が罷り通っている。本来の使命を放擲し、権力の上にあぐらをかき続けている彼らが優秀、など笑止千万である。
「そんなに公務員の待遇等がいいというのであれば、あなたも試験にパスすることにより公務員になればよかった。採用の窓口は平等に開かれているのだから」。これもよく耳にする言い分である。
しかし採用の機会が平等なのは当たり前。つまり一部の者が、他人のお金(税金)を使って、不当なまでに「いい思い」をしていいかどうかは、それとはまったく別の話である。経済や社会が停滞する中、不公平・不平等は許されないのである。
さらに若者からは、次のような批判がなされよう。「公務員改革といったできもしないものを条件付けるのは、単に増税を先延ばししようしているだけ。世代間の不公平解消は待ったなしであり、無条件かつ直ちに実施しなければならない」。
その気持ちはよく分かるつもりだ。しかしこれをやらないままの大増税は、絶対といっていいほど世論に受け容れられない。つまり選挙で大敗北するようなことを、政治家がやるはずはない。だからこその「急がば回れ」であり、少なくとも同時進行(ただしスタートは公務員改革が先)でやらなければならない。
そしてこれが本稿の結論なのである。