“増税主張の与謝野氏を大臣にして、管内閣は消費税の大増税路線に踏み込んだね。だけどのうのうと暮らす天下り連中や、ふざけた役所文化を何とかしない限り、こんな話には乗れません。「増税の前にやることがある」だね。むろんこの種の不公平がなくなりさえすれば、必要な税はいくらでも負担しますよ”。
これはこの1月14日に載せた私のツイッター。二回にわたる本稿の結論は、このツイッターに尽きている。とはいえこれはあまりに重要なテーマであり、この論旨を肉付けしておきたい。
菅政権は「税制と社会保障の一体改革」を訴えた。確かに財政は崖っぷち。さらには高齢化の進行により、社会保障費も拡大の一途をたどる。
だから財政破綻を避けるためには、「税制と社会保障の一体改革」は大賛成。しかも一刻の猶予もならないこともよく分かる。そして国民の半数以上も、この点に異は唱えていないはずである。
しかし繰り返すが「増税の前にやることがある」。ところがこの主張に対して、与謝野氏らはこういう。
“確かに公務員改革等を行えば、数兆円程度は出てくるかもしれない。しかし今不足しているのは数十兆円。これではどうにもならない。したがって消費税を含む税制改革が必須となる”。
一見もっともらしい理屈だ。しかしこれは「国民全体におかゆをすすらせた上で、われわれ役人等が、奥の間ですき焼きを食べよう」という言い分にしか聞こえない。したがって、「いや、すき焼きに要する費用は、全体からみればたいしたことはない」などという理屈は、まったく通用しない。
むろん国民はこうした本質を見抜いている。だからこそ国民は、増税の必要性を理解しつつも、消費税増税を選挙で訴えた政党を、今まではみな大敗北させているのである。
こうした問題を極端に凝縮しているのが、今の阿久根市である。阿久根市の住民は、懸命に働いての平均年収が200万円見当。一方それに比べれば眠っているに等しいような役人のそれが約700万円という。そしてこのデタラメいうべき現実は、世に秘匿されていた。
それを前市長(今選挙中)が、反乱のような形で露わにし、かつ無茶苦茶ともいう手法で大変革にチャレンジしている。マスコミを含む既成勢力の猛反発にもかかわらず、かつこれが猛烈に荒っぽい手法でありながらも、少なからぬ市民は彼を熱烈に支持したわけである。
そして今回の管内閣の言い分は、「わが阿久根市が破綻しそうだから、(我々の給料はしっかり維持したまま)増税させてほしい」というに等しい。まさに「ふざけるな」である。
ではどのようにすればいいのか。そのイメージは夕張市にみることができる。夕張市は、増税を含む各種の負担の増加や、多くの住民サービスの廃止等により、財政再建への努力を続けている。
その背景には、市役所職員のリストラや給料の大幅減、さらには一人何役をも担うという懸命のがんばりがある。こうした市民と役所職員とが一体になって郷土再建への努力を続けているのである。
今日、この国でもっとも嫌われるのは不平等といってよい。やや余談ながら、その背景には、わが国が実質的に単一民族・単一言語(さらには宗教問題もない島国)等であることがあるようにも思う。
繰り返すが、本来の公務員改革によってひねり出せる金額の多寡は、本質的な問題ではない。大きな負担を背負うに際しては、「平等」は絶対の条件なのである。 そして平等が果たされさえすれば、ほとんどすべての国民は、夕張市民のように敢然と大増税その他に応じていくはずだ。
一刻の猶予もならない財政再建。それには国民の理解を得るべく、次回に述べるような公務員の大改革が優先する(大負けに負けて、同時並行でもよしとしよう)。その意味から、最低でも公務員改革担当大臣には、渡辺好美氏ら「みんなの党」を丸抱えするぐらいでなければお話にならなかった。
にもかかわらず、担当大臣は労組を基盤とする民社党出身のお年寄り(中野寛成氏)。一体何を考えているのか。
いうまでもなく、国民の支持を得られない限り、今の財政再建は成し遂げられるはずはない。つまり管総理は口先だけ。結局この問題を完全に放置したとしか思えないのである。
つづく