自民党の石破幹事長は、11月29日付けの自身のブログで、デモがテロ活動であるかのように記した。
特定秘密保護法案はその拡大解釈、さらにはそれによる国民への威迫効果に強い懸念が示されている。まさにこの発言は「デモ活動に参加すると、この法律で逮捕するぞ」とする脅しであるとしか思えない。
問題の発言部分はこうだ。
「今も議員会館の外では「特定秘密保護法案絶対阻止!」を叫ぶ大音響が鳴り響いています。(中略)ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げる行為は、決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。(中略)単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」。
この発言は、単にデモをいやがっただけのようにも思われる。しかし秘密保護法案の対象とされる次の「テロリズム」の規定を照らし合わせると、その本音が透けて見えてくる。
テロリズムの定義はこう定められている。ただし規定内容はあいまいである。
「政治上その他の主義主張に基づき、国若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で多数の人を殺傷し、又は重要な施設その他のものを破壊する行為」
この規定の冒頭部分「政治上その他の主義主張に基づき、国若しくは他人にこれを強要し」は、デモも該当するといえる。となるとデモ行為そのものがテロ行為に該当するようにも読めてしまう。事実、法案反対派の弁護士は、普通に法律を読むとそうなると説明している。
しかしこのデモ部分と後段の規定を併せれば全く変わってくる。つまり「デモ行為による主義主張の強要により、多数の人を殺傷し、又は重要な施設その他の者を破壊する行為」がテロ行為の定義であるとも読めるのだ。
むろんこの後者が常識に合致するし、森雅子法案特命相もそう述べている。
こうした中における先の石破幹事長発言。これはまさに「前者で解釈すべし」と言わんばかりのものだったわけである。
ただしこの発言内容をよくみると「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」と言っているだけで、両者が同じと言っているわけではないことが分かる。
実は先の法案のテロリズムに関する定義は、自衛隊法第81条の2第1項をそのまま引用しただけのものである。既存の自衛隊法が、「デモは即テロ行為である」などと定めているはずはない。
むろん軍事オタクでもある石破氏がそれを知らないわけがない。彼も後者が正しい解釈であることは十分承知していよう。
そもそも秘密保護法には、国民による政府等への批判を封じ込めようとする大きな狙いがあろう。とりわけ「政府や行政の痛いところを鋭く追求してくる市民運動等は、なんとか押さえつけたい」とする思惑が強い。
為政者は、こうした論外ともいうべき野望を、秘密保護法のドサクサで一気に実現しようとしているとしか思えないのである。
とはいえ、秘密保護法といえども、民主主義・表現の自由の根幹を否定する規定を定めるわけにはいかない。
そこで、「拡大解釈をするかも」とする脅しによって、国民の行動の自主規制を狙ったわけだ。「デモに行くと逮捕されてしまうかもしれない」と思わせたいのである。
本音がそうした脅しのためのものであるためか、先の石破発言には矛盾が多い。
まず「多くの人の静穏を妨げる」というが、ここには議員会館と国会議事堂しかない。住宅地ではないのである。またこの集会には私も参加したことがあるが、マイクの音量はたいしたことはない。まして「絶叫」などオーバーに過ぎる。
さらに彼はこの件で、彼は朝日新聞の質問にこう答えている。「大音量という一般市民に畏怖の念を抱かせるという意味で、本質的にテロ行為と同じだと申し上げた」。
冗談ではない。あの程度の音量で市民が畏怖を抱くわけがない。昔の車道におけるジグザグデモでもあるまいに。
警官の見守る中、歩道上で少々声を上げただけのかわいいレベルのものが、「本質的にテロ行為と同じ」など、笑止千万である。
繰り返すが、「デモはテロ行為」などという石破発言こそ「一般市民に畏怖の念を抱かせる」。これらにより国民は無意識のうちに自主規制させようというわけだ。見ざる,聞かざる、言わざる。まさに戦前の思想統制時代への回帰である。
しかし我々は、そのような卑劣な策に乗せられてはならない。デモを含む従来までの行動は何ら違法性はない。特定秘密保護法にもそれらを定めているわけでも何でもないのである。
こうした卑劣きわまる脅しを排除する意味においても、我々は、従来にも増して信じるところに従い行動していくべきではあるまいか。