前回は、原発事故に関する東電の対応のお粗末・非常識ぶりを強く批判した。今回は、計画停電をみていく。
まずは恐るべき泥縄ぶり。ご承知のように、管内を5つ地域に区分し翌日から各グループごとの停電を実施すると発表した。しかしこれが13日の夕刻での突然の発表の上、資料も誤りだらけ。後述の交通機関を含め、首都圏を大混乱に陥れた。
しかし震災による原発等の被災は、11日の午後であった。つまり計画停電の策定可能時間は丸2日以上と、時間はたっぷりあったのである。
であれば、交通機関や医療関係者等との事前の打合わせを経た上での、すべての電力利用者への周知期間も確保できたはずだ。にもかかわらずこの場当たり的な「無」計画停電。この貴重な2日間、彼らは眠っていたとしか思えない。
無計画停電ぶりは、14日の停電予定の地域のほとんどが停電にならなかったことからも明らかとなる。その時間帯に店を閉める等の社会の懸命の対策は、まったくの空振りとなった。
その一方、首都圏の大半の電車は止まってしまった。こうした非常時には、(一般家庭の停電時間を増やしてでも)優先して動かすべき公共交通機関。彼らは何故にこれを止めたのか。
それでも翌15日にはかなりの電車が動いた。しかし新聞によると、東電は当初、「鉄道の変電所だけに電力を供給することは無理」としていた。
しかし国交省の技術担当者が供給方法を具体的に指摘。東電はこれすら「手間と時間がかかる」として難色を示していたものを、国交省の説得によりやっと実現したという。要するに面倒くさかったのである。
何より、14日の夕刻での初めての停電実施地域に、大地震の被災地が含まれていたのには驚かされた。一体彼らは何を考えているのか。
ところがごていねいにも、中央省庁が集まる都心三区は停電地域から外すという。役所への露骨なゴマすりとしか思えない。いや千代田区だけでなく中央・港を加えたのは、お仲間の経団連参加企業やマスコミ等への配慮かもしれない。
しかし計画停電といった不都合の受容は、(特殊事情を除き)完全平等が絶対条件となる。これでは中央省庁の役人がいよいよ思い上がる。また彼らこそ、停電の何たるかを経験すべき立場にある。彼らを甘やかすことは、百害あって一利なしといえよう。
ついでにいえば、東西間で電力の融通がほとんどできない状況に放置していた点も問題となろう。確かに50ヘルツと60ヘルツとの違いがあって、融通はやりにくいという。しかし少ないながらもこれは実施されているのである。
であれば何故十分な準備をしておかなかったのか。こんな大事故は起こらないと思っていたのか、電力が不足する事態になれば停電させればいいと思っていたのか。
とにかく公共機関としての危機意識が、あまりに欠如しているのである。
いずれにしても、深刻の度を増す原発事故のものを含め、のほほんとした東電の対応は許しがたいものがある。もはやこんなデタラメな会社に、首都圏の電力供給を委ねるわけにはいかない。
したがって一段落の後には、まず取締役全員の退陣を要する。そして経営陣の中心には(海外等とのガチンコ勝負を行っている業種の)外部の人を据える。これにより徹底的な体質改善を行うのである。これが最低限のスタートラインとなる。
そして何より大切なのは、地域独占を外すことだ。昔の国鉄や電電公社、現在の旧道路公団等、役所により独占が保証されている企業は皆ダメになっている。こうした独占は、必然的に弛緩や退廃を招くのである。
となれば、電力業界にも競争を起こさせなければならない。すなわち当初は十分な保護育成方針の下に、他業界等からの新規参入を奨励するのだ。先行事例は通信業界である。また既存の電力会社における、固定された営業テリトリーの撤廃も必要となろう。
これらにより、「災い転じて福」を目指す。同時に、人災ともいうべき原発災害の恐怖におののく多くの人をはじめ、不可解な電力供給ぶりで大迷惑を被った首都圏の人等への贖罪とするのである。