今般の東北地方等に発生した未曾有というべき大震災は、甚大かつ痛ましい被害をもたらした。まずは被災者の方々に対して心よりお見舞い申し上げたい。
この中にあって、福島原子力発電所の大事故や電力不足問題等についての、東京電力の対応にはとても納得できない。その認識の甘さや対応の不手際に関しては、怒りさえ覚える。
今回は原発事故について。
どうやら彼らは、腹の底ではこう思っているらしい。”そもそも今回の地震や津波の規模は想定を上回っている。よって、これによる原発の事故の発生は、やむを得なかった”。
しかしスマトラ沖地震のマグニチュードが9.1であるという。であれば今回の9.0程度は、常識的かつ当然に想定される範囲のはずであろう。これを「想定外」などというのは、認識が甘いどころか単なる手抜き、さらにいえば無能であるとしか思えない。
確かに「大津波を考えれば、海岸沿での原発立地の選択は誤りだった」、などと後悔しても遅いのかもしれない。
しかしそうであればあるほど、事故発生時に必須となる原子炉内への冷却水の注入に万全を期すのは、(素人目に見ても)当然のことであろう。ところが今回、そうした設備が津波で全滅するは、次善の策としての海水注入用のポンプの多くもダメになるは、でお話にならないのだ。
こうした事故の経過報告の態様に関して、二点指摘したい。
まず東電の説明関係者のノーテンキぶりには驚いた。まるで緊張感がなく他人事にしかみえない。とりわけ今夜の原発責任者である副社長の説明は、発音が不明瞭で専門用語まで混じらせる。自身の立場が分かっていないとともに、「ご理解いただこう」といった姿勢が全く感じられないのだ。
この点、一連の枝野官房長官の話しぶり(緊張感、明瞭性、伝えようとする意欲)は、大いに好感が持てる。「自分も協力しなければ」という気にさせてくれるのだ。
もうひとつ、説明内容があまりに「希望的観測が充満」している点も問題だ。これに専門用語をからませ、肝心なところは曖昧にしてしまう。
「一般の人に、無用の不安を与えてはならない」が錦の御旗なのであろうが、まったくの逆効果。一般人からすれば、これは「ごまかし」に見えてくる。さらに実態がまるで分からないから、不安感が増幅してしまう。
こうした説明ぶりからは、彼らの本音が自己保身にあることがミエミエといえる。うまくこの希望的観測が当たれば、「元来、たいした事故ではなかったのだ」などとして、責任を回避しようというわけなのであろう。
そこには、「最悪の場合を含め、真実を本音で分かりやすく語る方が、ずっと一般人の不安が少なくなる」という理解がない。いや理解をしていても、保身優先の意味から、そうした説明をしようとしないのだ。
今日、この福島原発の事故は地球規模で注目されている。著しい地球温暖化で、原発はクリーンなエネルギー源として注目を浴びているからだ。ここ数十年間、放射能問題で原発を拒否し続けていた西欧でさえ、原発容認に大転換しつつある。
わが国は、今まで原発の安全性・技術性とも世界の最先端を行っていた。その日本の原発での大事故は、この流れに大きく棹さすこととなろう。また少し次元は下がるが、わが国の原発の今後の輸出動向にも、大変な影響を与えるはずだ。
起きてしまった災害による事故は致し方ない。しかしここは、国民への不安感の対処を含めた、すぐれた事故の収拾ぶりを世界に示すことができれば、まだ何とか面目を施す余地もあるように思う。つまり「さすがは日本の技術力。あのような大災害でもうまく切り抜けることができるのか」と言わせたいのである。
しかし実態は、その正反対。東京電力は、わが国のみならず世界に醜態ぶりをさらしている。
トップは、最低でも経団連の副会長を約束された超名門企業。しかしその実態は、地域独占の上にあぐらをかく官僚主義的経営。硬直したこの会社には、額に汗して働く本来の民間会社の使命感は、遠に失われているのであろう。
なお、電力不足・計画節電等を題材に、もう一度この会社のこうした面を批判したい。