読売新聞の8月11日の夕刊によると、文科省は年間20万人が受験する秘書検定実施団体に対して、身内取引が多いとして改善を指導したという。
この団体は「実務技能検定協会」。税制上の優遇措置を受けることのできる公益法人の指定を受けている。にもかかわらず身内取引が多いのは、あまりにお行儀が悪いというわけだ。
具体的な内容は、協会の事務所の賃借、協会の事務を行う15人の人件費、問題作成・採点業務等である。これらを、理事長が社長を務めていた会社その他に発注していた点が問題とされた。しかもそうした賃貸借や業務委託等の契約書も交わされていないという。
これらにつき文科省は、自身が策定した「指導監督基準」に基づき指導監督したというわけである。
しかし新規の事業を立ち上げた場合には、その関連業務を創業者等の身内に発注するのは当然のことではないのか。それがその後に大発展したとしても基本は同じである。また身内関係者には信頼関係が確立されている以上、契約書がないということにも違和感はない。
だから本音の話、「これのどこがいけないのですか?」と聞きたくなってしまう。
とはいえこうした大発展を遂げた法人は、既に社会的な存在となっている。したがって多くを対外的にも説明できるようにしておく必要が生じている。とりわけ税務面からはそれが強く要請される。
ましてやこの協会は公益法人の指定を受けている。となれば確かに、お行儀が悪いだけは済まないといえよう。
しかしこの協会を指導した者が文科省であるとなれば、話は全く別のものとなる。文科省は、改善すべきとしたことと全く同じことを、その何百倍もの規模で行っているからだ。
すなわち文科省は天下り団体を何百何千と作り、それらに対して業務を発注している。これらは「検定協会」の身内取引とどこが違うのか。
ましてや「秘書検定」は、創立者個人の独自の発想と行動力等でここまで大きくしてきた。前年の「漢字検定」ケースと同様、創業者のこうした創意工夫や努力は大いに賞賛されるべきである。
その一方、何百倍もの規模で行っている文科省の身内取引は、すべて権力・権限を背景に、かつ税金を使ってのものである。本来の創意工夫もなければ努力もない。ありていにいえば(たてまえはともかく)「自分たちが優越し安楽に暮らす」ための手段としての、薄汚い身内取引なのである。
何が「指導監督基準」か。それを自分自身に当てはめてみたらどうだ。おそらく真っ黒、その全部が違反となるだろう。
つまり少し悪いことをした者に対して悪の権化のような存在が、「お前、悪いことをするな!」と言っているのと同じだ。だから言われた側とすれば、「お前だけには言われたくない」と思うに相違ない(ただしこの本音を漏らすと、権力を背景とする圧力に潰されてしまうだろう)。
要するに全くのお笑いぐさ。
しかし文科省(どうせ他の役所も同じであろうが)もよくこんなことをやるね。その厚かましさは尊敬に値しますよ。