この1月9日の読売新聞は、経済産業省の事務次官から、「政治主導の生策決定により、役人の士気が低下しているとの懸念」が示されたことを報じています。各省の事務次官と官房長官との会合の場での話です。
経産次官の発言内容は次のようなものです。「旧政権では大臣から指示される前に、自分なりに問題意識を持って取り組んだ。今でも同じようにやらないといけないが、政治主導が重くのしかかり、中堅・若手層が「指示待ち」傾向になっている」。
その上で次官は「国家公務員は国の資産。指示待ちが増えると不良資産になりかねない。そうならないように政治の力でくい止めてほしい」と要請したとのことです。
この発言にはあきれてしまいます。各省庁も民間企業と同じく、トップの指示に従って動くはずの組織です。トップの交代により組織の運営方針が変わったのであれば、組織の人間はそのとおりに動かなければなりません。
各省庁の公務員が従来、「事前に自分なりに問題意識を持って取り組んだ」というのであれば、新政権においても、その方針に合わせる形でそれを実行すればいいだけの話です。
経産次官のいう「政治主導が重くのしかかり、指示待ちになる」というのはどういうことでしょうか。そもそも各省庁の職員は大臣(つまり政治)の主導より動くはずです。しかしこれが「重くのしかかる」というのです。
つまり、旧政権では大臣の指示や意向を無視する形で、役人が自身の判断で自由な行政を行っていたわけです。そして新政権になって、それが許されなくなったために、「今までどおり自由にやらしてほしい」と言いたいのでしょう。
しかし役人に自由にやらせてきた旧政権は、選挙で大敗しました。大敗の原因は、旧政権が本来なすべきことを実質的に各省庁に丸投げしてきたこと、そしてその各省庁が行ってきた行政が、年金問題に象徴されるようにあまりに不出来であったことにあるといえましょう。
要するに国民は、今まで各省庁が好き勝手にやってきた行政に、「N0」を突きつけたのです。となれば、「今までどおり自由にやらせてほしい」などという役人の要求が受け入れられるはずはありません。
試しに、彼らの行政の惨憺たる状況をマクロ的にみてみましょう。
財政を破綻させた財務省。教育を駄目にした文科省。対米追随一本槍で自分の頭でものを考えようとしない外務省。道路・港湾・ダム等、省益確保のための不要施設を作り国土を破壊した国交省。薬害事件を連発させる一方、年金・医療・介護を崩壊させている厚労省…。もう枚挙に暇がありません。
おまけにこうしたデタラメな行政をやっても、その責任をとる人は皆無。まさに公務員天国です。
今度は、役人の生態をミクロ的にみてみます。役所との折衝をも担当しているある業界団体の人の話です。
「キャリア役人は2~3年で異動します。その間にいかに実績を上げるかが、出世のポイントとなります。役所が評価する実績とは、権限や予算の増大に結実する仕事をつくり出すことです。ですから彼らは懸命にこれに注力します。
具体的には、関係条文の改正により民間への規制を強める、天下り先を増やす、等です。とりわけ新法を作って全く新たな仕事を作ったり、天下り法人をひとつでも新設すれば、大出世間違いなしとなりますね」。
その人の話は続きます。
「かといって新任の役人には、その分野の知識が全くありません。だから我々のような業界団体の担当者に対して、”何かいいネタはありませんかねー”などと言ってきます。そこでこちらの通してほしいささやかな話との交換条件的に、彼らに知恵を付けるわけです。
しかしこれをやればやるほど、我々の業界を含め一般社会の首が絞められていくことになります。毎年毎年こんなことをやっていると、本当にイヤになりますヨ」。
要するに彼らは、国民の利益などは二の次三の次。権限拡大という省益に狂奔しているのです。そして個人ベースにおいても、天下り先をしっかり確保すること等、「自身が安楽かつ優越した人生をおくる」という最終目標を達成しようとしているのではないでしょうか。
こうした役所の自己増殖の結果、不必要な規制・制限が蔓延し、訳の分からない天下りのための外郭団体等があふれていってしまったのです。
民主党のある大臣が、次のような趣旨のことを言っていました。「霞ヶ関の人間は無能である。単に学校の成績がよかったにすぎない」。まったく同感です。
とはいえ、確かに世の人の少なからぬ人は、未だに彼らは優秀であると思っているようです。何より、彼ら自身がそのように(しかも強固に)考えています。いみじくもそれは、先の「国家公務員は国の資産」などという発言に表れています。だから「ゴチャゴチャいわずに、行政全般は優秀な我々に任せておけばよいのだ」といった発想をするのでしょう。
結局のところ、「政治主導が重くのしかかり、指示待ちになる」という言葉の本音は、「優秀な我々が動かなければ、この国は立ち行かなくなります。しかし政治があまりうるさいこと言うのであれば、我々は働いてあげませんよ。それでもいいのですか。」という意味だと思われます。
つまり彼らには、政権交代が何故起きたのか、さらには民意がどこにあるのか等が、全く分かっていません。あきれるほどの認識不足です。
公務員に最も要求される使命感をとうに失い、恐ろしいばかりの思い上がりに支配された今日の役人。彼らなどに働いてもらわなくともけっこうです。そして彼ら全員を辞めさせ、人員を総取っ替えして再出発することができればどんなにいいでしょうか。