約3年前に発生した殺人事件について18日、検察側は被告人に死刑を求刑した(読売新聞)。無職の62才の男性が、女子高生(1年生)への殺害・強制わいせつを問われたものだ。
しかしこの記事やウィキペディアを見る限り、これは99%「冤罪」としか思えない。
新聞によると、被告の関与を示す直接的な物証はないものの、検察は次のように主張しているという。
まず(被害者と犯人との二人が映っている)防犯カメラの画像鑑定など複数の間接証拠を挙げる。そして捜査段階から全面否認している被告の主張につき、「(その主張は)抽象的で、社会常識から犯人であることに疑いの余地はない」とする。
この他には、現場周辺での目撃証言。さらに逮捕後、被害者の遺留品の詳細の供述が、「犯人しか知り得ない秘密の暴露に当たる」としている。
その上で検察は、被告が過去に二人を殺害(36年前、刑期終了)していることを挙げ、「反省感情が皆無で、矯正困難。再犯のおそれも高い」と主張。死刑選択基準を満たすとして死刑を求刑したわけである。
しかしこの事件は、警察による「冤罪(でっち上げも)の典型」に合致する。その典型のパターンは次のようなものだ。
まず凶悪事件ながら、事件解決を楽観視し初動捜査が甘いものとなる。しかし犯人が挙がらず、また過去に同種の未解決事件もあり、警察は世の批判を浴びる(以上を事情①とする)。
そこで犯人に仕立てやすい、アリバイがなさそうで(前科を有するといった)弱い立場の者を選別する(事情②)。そしてその者を別件での逮捕により警察署へ「監禁」し、「自白」するまで長期間責めまくる(事情③)。「自白」させた後は、裁判で有罪に持ち込めるようなストーリーの供述を誘導する(事情④)。
この間、ストーリーに併せた目撃者や鑑定書をつくる(立場の弱い者や御用学者に頼めば十分可能))(事情⑤)。さらに容疑者に有利な証拠は隠し、必要とあれば証拠も捏造する(事情⑥)。
この事件は、以下のとおり「典型のパターン」に気味が悪いくらいピタリと合致している。
詳しくは述べないが、事情①は合致する(その7年前に「舞鶴高3女子殺害事件」が発生し、未解決となっている)。事情②も合致。
また彼は、女性下着1枚と賽銭約2,000円を盗んだとする窃盗罪逮捕され、家宅捜索も受ける。絵に描いたような別件逮捕だ。よって事情③も合致。
ところが彼は最後まで「自白」を拒否した。警察の手の内が分かっていることもあろうが、この精神的な強さには脱帽である。
この点は「冤罪」であることを推測させよう。犯人であれば精神的にそこまで強くなれないと思われるからである。したがってこの事情④は実質的には「合致以上の合致」と解すべきである。
しかし警察・検察が頼りとするビデオ映像の鑑定内容は、彼が犯人と思われる男と「体格で同一人物とみて矛盾しない」だけのものに過ぎないという。つまり「彼が犯人である」という映像ではないのである。
また検察は、目撃証言はさして強い根拠に挙げていない。以上から事情⑤も一応合致している。
また「秘密の暴露となる遺留品への供述」も、弁護側が指摘しているとおり、警察の誘導によるものと推測されよう。つまり事情⑥にも合致しているといってよい。
こう見てくると、彼が犯人であるという証拠はどこにもない。間接証拠ですらあやふやである。
こういう時はたいてい本件のように、「被告の不合理な弁解ぶりから、彼が犯人であることを強く推測される」などと苦し紛れに言う。この論外の主張を、お仲間である裁判所がよく採用してくれるからだ。
しかし毎度申し上げるが、検察側は、法律上その犯罪を「通常人なら誰でも疑いを差し挟まない程度に真実らしいとの確信」を与えるレベルまでに立証しなければならない。彼らに強大な捜査権限が付与されている以上、これは当然である。
逆に被告人側は、無罪を立証する必要はないしできるはずもない。だから「被告の弁解が不合理」など何の証拠にもならない。ましてや無茶苦茶な罪を着せられそうになれば、その弁解も無茶苦茶になるのは当然といえよう。
何より驚かされるのは、この件の起訴の日が、裁判員裁判に移行する日のわずか2日前であったことだ。。つまり検察も、裁判員の常識からは無罪判決が出るであろうことを分かっているのだ。だから彼らは、「何でも有罪」(有罪率99.9%)にしてくれる裁判官だけの裁判を選択したわけである。
いずれにしてもこの事件は、「通常人なら誰でも疑いを差し挟まない程度に真実らしいとの確信」は到底得られない。したがって本件は法的にも、さらには(裁判員による)常識的判断からも、無罪にならざるをえない。
にもかかわらず上記のとおり検察は、「反省感情が皆無で、矯正困難。再犯のおそれも高い」と指摘して死刑を求刑。そこで筆者は、懲りないこの検察に対して、この指摘をそっくりそのままお返ししておこう。