東電は先頃の冷却装置等の29時間停止を「(事故ではなく)事象」と称している。つまり「たいしたことではない」と言っているわけだ。冷却装置が本当に止まってしまえば、日本を吹き飛ばすような放射線が降り注ぐにもかかわらずである。
これにつき東電は、「原子力の世界では、外部に放射能が出て影響を与えるようなら事故だが、そうでなければ事故とはよばない」と言い切ったという。しかし仮にそうであるとしても、東電のこの言い分は矛盾である。
まず記者会見等の場は「原子力の世界」ではない。事故の状況を一般の外部に説明するためのものだからだ。であればそこで使用される用語は、当然に社会常識にかなうものでなければならない。
また2年前の原発の大爆発により放射性物質をまき散らした時も、東電は「爆発的事象」と言い続けていたという。
つまり東電は未だに、深刻な事態を見え透いた用語のごまかしによって、事実を矮小化しようとしている。そしてこれをみれば、彼らの体質が全く変わっていないことが明白となる。原発事故の反省はなされていないのである。
不都合な事態を言葉でごまかすというのは、役人等の常套手段である。
その最たるものは、軍部による「退却」の「転戦」への言い換えであろう。その戦いに負けたのではなく自主的に戦いの場を転じただけ、というわけなのだ。
こうした話になると、電電公社の民営化後の初代NTT会長である真藤氏を思い出す。彼は、社長以下の各役員らが「電話の加入者が…」と話し始めると、即座に「電電語はやめろ」と叱り飛ばしていた。「(加入者ではなく)お客様と言え」というのである。
それまでの電電公社は、電話の設置者を「加入者」と呼んでいた(つまり電電語)。公社と利用者との関係は対等、いや実は「電話をつないでやっている」という認識だったのだ。
そこで真藤会長は、この役所感覚を払拭させるべく「お客様」を使用させ、民営への意識改革を徹底していったわけである。
真藤会長はこうしてNTTを立派な民営会社に転換させた。こう考えてくると、今日彼が東電のトップに就いてくれたら…、などとつい愚痴が出てくる。
しかし残念ながら会長就任の約3年半後、彼はリクルート事件で足をさらわれてしまった。
繰り返すが「事故と事象」「退却と転戦」そしてお「客様と加入者」、これらは実質的に意味するところが全く違う。
さらには「事象」や「転戦」は、単なる事実の矮小化のみならず、彼らの「責任から逃れたい」という強い気持ちが透けて見える。
もっといえば、責任者らがこうした用語を日々使用するうちに、事の重大性に関する彼らの感覚が麻痺していっているのではあるまいか。
東電幹部の驚くべき無責任な身の対処や、広報担当者のあっけらかんとした顔つきからすれば、そうとしか考えられないのである。
もはや東電は絶望的な組織である。そして未だにこんな連中が、二年後の今も予断を許さない状況に放置した事故原発の管理・処理を行っている。この現実は本当に恐ろしい。
東電には、せめて「事象」といった(電電語ならぬ)東電語の使用をやめさせたい。彼らに常識どおりの用語を使用させることにより、客観情勢をきちんと認識させなければならない。
そしてこの拙文は、そのひとつの手段であるとご理解願いたいのである。