国税の徴収という重大な任務の遂行にあたり、税務署が「怖い存在であること」は国家にとって必須です。しかしともすると国税という組織は、自身のエゴともいうべきもののためにも「怖い存在であること」を利用します。

事実、国税の大黒星を粉塗せよとする不当な要求を拒否した「太平洋テレビ」(ララミー牧場等をテレビ配給)の社長は、それ故に国税の権力により完全に抹殺されてしまいました。既に映画として放映されている「不撓不屈」も、まさにこの点がテーマになっています。

むろんこのような露骨なことは今ではまず行われません。もっと手軽には、税務調査をかけ、そこが脱税したと関係者にリークすればいいのです。どの納税者も強引に叩けばほこりは出るでしょう。もし出なければ「出す」までのことです。

そもそも財務省・国税庁といった中央官庁は、実質的に三権を握っているといってよいでしょう。法律はほとんど役所が作っています。後述のとおり裁判所の行政追随傾向はどうにもなりません。さらには第四の権力ともいわれる大マスコミをも、記者クラブ等を通じて実質的に支配しています(下記COLUMN参照)。

こうした圧倒的な権力・権限を握っている財務省・国税庁の最前線の執行機関が税務署です。むろんそれは強くまた怖い存在です。「お上の意向」に逆らうことを考えただけでも、漠然とした恐怖感が湧いてきます。

となれば常にここと接触する税理士には、「いざというときのために税務署とは仲良くしておきたい」という心理が強く働きます。こうした「税務署に弱い」という一般税理士の特質は、一面ではしかたないのかもしれません。

しかし税務署員は「仕事熱心」なあまり(?)、これらを背景に納税者に無理な主張を押しつけようとする場合も少なくありません。本来は強い存在であるからこそ、自制すべき立場にあるにもかかわらずです。

これに対して納税者を擁護すべき税理士の対応は、全般的に芳しくありません。こうした対応ぶりを分類すると、どうやら「積極迎合派」(国税のOB他)と「消極迎合派」に分かれるようです。いずれにしても「税務署が何と言おうと、おかしいものはおかしい」と、必要に応じて異を唱える税理士は極めて少数派のようです。

この「強さ」の度合いは、税務調査の場が最も明らかになります。少数派である「積極迎合派」の税理士の立ち会いによる税務調査は、税理士は税務署の尖兵のような動きをするといいます。納税者は「”一体あなたは誰の味方か。報酬は誰からもらっているのか”と言いたくなり、悔し涙にくれた」といった話も耳にします。

多数派の「消極迎合派」は、「税務署とは円満な関係を壊さないようにしつつ、無事税務調査を終える」ことを念頭に置いているようです。したがって原則として税務署員の意向を受け入れてしまいます。その上で「こうした税務署の要請をいかに納税者に納得させるか」に腐心するのです。

ある税務調査の場で

さらに情けないことに、税務署員からも「税理士はすべて税務署側の人間である」と思われているようです。

筆者が新米税理士の頃の税務調査での話です。税務署員が古い預金通帳を見せてほしいと依頼しました。そこで未亡人が「奥の部屋から持ってきます」と言って立ち上がりました。すると署員は、「一緒について行きたい」というと同時にズカズカ中に入っていきます。そして未亡人が押し入れの書類箱から通帳を取り出そうとすると、「その書類箱を見せて下さい」と言うや否や夫人から書類箱を奪い取り、中の書類のすべてを念入りに調べ始めたのです。

未亡人は奥の間に入られた上、私的な書類をすべて見られてしまう状況にとまどっていました。プライバシーも何もあったものではありません。当方は屈辱の思いで呆然とこれを見るしかなかったのです。我ながら情けない新米税理士でした。

間もなくこうした対応は、税務署の常套手段であることを知りました。そこで次の税務調査の際には、事前に納税者としっかり打ち合わせをしました。そして当日、古い通帳の求めに応じて夫人が立ち上がった際の「一緒に行かせてほしい」という署員の依頼を、筆者がやんわり拒否したのです。

すると署員は本当に驚いたようです。「エッ、先生は税務調査を拒否なさろうというのですか」。彼は顔を真っ赤にして言います。「違いますよ。奥さんが通帳を持ってきてくれるから、ここで待っていてほしいと申し上げているだけですよ。これのどこが調査拒否ですか」。当方は落ち着いたものです。「いや驚いた。こんな税理士は見たことがない。この「拒否」は税務署内で問題なるだろう。そこで署の上司に事情を説明してその了解を得るので電話を拝借したい」となどと言います。「許されざる非協力税理士」に対する精一杯の脅しなのでしょう。

「どうぞどうぞ」(当方)。こちらの対応に問題がない以上、そんなみっともない電話が架けられるわけがありません。署員も一応は受話器に指を回す仕草はしたが、結局架けずじまいで終わりました。そしてその後の調査も、通常と変わりなく終わりました。そして最終的にもこの件は申告是認でした。

税務署に負けるな

いうまでもなく税理士は、あくまで顧客本位でありつつ適正な税を追求すべき立場にあります。国税側がこれを歪めようとするのであれば、毅然とした対応をしなければなりません。

さらに今日は昔とは違い、国税側は乱暴なことは滅多に行いません。はっきりいって、裁判を含め国税側とまともかつ激しく争う点では、筆者はその最先端にいる1人でしょう。しかし筆者は国税側から「江戸の敵を長崎で…」を含め、妙なことをされたことは一切ありません。

やはりポイントは税務調査の場です。先方は自身の成績がかかっていますから必死です。納税者側の対応が弱いとみると、かさにかかって妙な主張をしてきます。逆にこちらがしっかりした対応をとれば、無理は言ってきません。むしろ先方は、こうした対応に対して敬意らしいものすら示してきます(しかしごく一部には強硬な人もいますが)。

何より「税務署への強さ」が求められるのは物納申請です。ここでの勝負は、国税側のご都合主義的な収納拒否をいかに撤回させるかにあります。おそらく先の「積極迎合派」の全員、そして「消極迎合派」のほとんどの税理士は、「税務署が収納できないと言ってきました。代わりの土地を出しましょう」などと言うようです。

しかしこれでは何のための物納申請かが分からなくなります。相続税基本通達を示す等によりその拒否の不当性を指摘すれば、先方は収納するはずです(後述するとおり、無理をして異議申立て等をされれば、税務署側が負けるのは明らかだからです)。

実は最も大切なことは、しっかりした姿勢により、前節で述べた「震え評価」や「迎合評価」を防止する点にあります。いくら不動産に強くとも、税務署に怯えてしまったのではこれらを防ぐことはできません。この両者が相まって初めて「震え評価」等を防ぐことができるのです。

COLUMN「武豊騎手申告漏れ」

三月五日に各紙に載っていた見出しだ。記事によると、税務調査でこの三年間の合計一億一千万円の申告漏れを指摘された同騎手が、五千万円余の修正申告に応じたという。「従来通りの申告を突然拒否されて驚いている」という武騎手のコメントも同時に掲載されている。いろいろ読んでみると、明らかに税務当局のやり方がおかしい。武騎手は従来から当局が事実上認めていた約35%の概算経費率により所得税を計算していた。これを当局が否認したのだ。理由は「収入が一億円の人と数百万円の人の経費率が同じというのはおかしい」というもの。確かにそうかもしれない。であれば「今後このやり方はダメですよ」と指示すべきだ。これをやらないまま、突然過去にさかのぼって否認し、加算額を含めて追徴した。いわばこれは罠のようなものだ。罠が言いすぎであれば、課税行政の不手際である。おまけにこれをマスコミにリークするのである。より問題なのは、大新聞の対応。これをストレートに記事にしてしまうのだ。背景の調査・取材をやっている様子も見られない。大新聞はこう反論するかもしれない。「役所の発表をそのまま書いただけ」「納税者の主張も載せており、公平に扱っている」さらには、「取材により事実関係を明らかにする態勢・余裕はない」こんな弁解は通用しない。「武騎手は悪質な税務者だ」—–記事を見た大多数の読者は、こうした印象を持つ。書かれた側は致命的なイメージダウンとなるだろう。仮に背景取材ができないのであれば、記事にしなければいいだけのことだ。中央官庁などは、マスコミへの情報リークなどにより、常に自己に好都合な世論形成を狙っている。これを批判することができるのは当のマスコミ自身しかない。その一番手のはずの大新聞が当局のお先棒を担ぐ。社会の木鐸としての誇りはどこへ行ったのか。(住宅新報紙・平成9年3月21日号に筆者が寄稿)